つらつらきまま


2006年08月09日(水)
ジュンジィな人


会社の気の置けない面々(他部署異動者や退職者も含む)と納涼の宴開催。
 星原元部長が若かりし頃、上司のいびりにキレたのでびーっちりと上司の机の引き出しにガムテープを貼って困らせたことがあるという武勇伝を告白。
 当時も星原元部長と一緒の課だったアオキさんは、朝から一生懸命ガムテープを剥がしている上司を思い出す度に笑けるらしい。
 そりゃそうだろう。
 私も、もしツボイが目の前でバナナの皮にスッ転んでくれたら、それをおかずに丼飯を2杯ぐらい平らげそうだ。

 ちなみに、ジュンジィこと高田純次様は名著「人生教典」で、星原元部長がやったこととほぼ同じことを「ダメダメ上司を懲らしめるいいアイデアを下さい」という相談に対する答えに挙げていた(ジュンジィは“引き出しを糊付ける”や、“朝早く来て上司の机にウ○コをする”など、実に下らなくて素晴らしい様々な提案をしていた)。
 身近にジュンジィと同じ思考を持つ人がいたとは不覚。
 星原さん、ビジュアルは古館伊知郎に似てんなぁと思っていたが、中身は高田純次。
 これだけ見たらかなりのいい加減さ溢れる感じだが、実力も人望も持ち合わせているから素敵。
 思えばこの人がいた頃はツボイもおとなしかった…。

「チョップリンがNHKに出ますよ〜」と宣伝メールを送っておきながら当の本人(私)はすっかりそれを忘れていた。
 がっくり。
 見たことがあるネタだったみたいだからまぁ良いか。
 忘れた頃に再放送があるとも限らないし。
 前向きに考えよう。

宮古島に台風が接近、というニュースを聞くと、“防波堤の先で台風に真っ向勝負を挑む千原せいじ”の図が浮かんでしょうがない。
 完全にイメージだけど。

+++++
61回目の長崎原爆忌。
 1999年は私が8月9日に長崎市内にいなかった初めての夏だったが、高速を使えば1時間半も掛からないほど近い福岡の街がいつもと全く変わらないことに大きな戸惑いを覚えた。
 
 追い討ちを掛けたのが、2000年の第82回全国高校野球選手権大会。
 長崎県代表の長崎日大高校は、試合時間が9日の11時開始だったので、1分間試合を中断して、選手や応援団が黙祷を行うことを許可して欲しいと高野連に頼んだところ、「終戦の15日に、まとめて戦争の犠牲者のめい福を祈って黙とうしてほしい」と断られた。
 “長崎と広島は原爆を投下されたけれど、他にも戦争の犠牲となった人達はいる、長崎だけ特別扱いをするわけにはいかない”ということは分かるが、まとめて祈れば良いというのは違う。
 お願いしていることはそんな単純に済ませられることじゃないのに、と当時新聞やテレビのニュースを見ながらとてももどかしかった。
 5年後、長崎日大とほぼ同じことを広島県代表の高陽東が経験したことを知り、違和感と落胆は更に増した。

 長崎や広島の人達が原爆投下時刻に黙祷を行うのは思想とも私情とも違う。
 むしろ“業”や“宿命”に似ていると思う。
 被爆地に生まれた者として。被爆地に育った者として。被爆地に住む者として。
 向き合うことから避けられない。
 
 自分に関わりが無いことには中々共感を覚えにくい。
 被爆者や被爆間もない街の映像が“グロ映像”としてネットにアップされることについては怒りを覚えるが、もし私が被爆地以外の土地で生まれ育ってもそういう怒りをちゃんと覚えるだろうかという不安がある。
 長崎にちゃんと育ててもらえて良かった。



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