2006年02月18日(土)
奇跡の湯浅
HDDとDVDは同時録画できないことが説明書で判明し、ビデオテープも無かったので<グッバイ湯浅>に決定。
録画しつつもオンタイムで虎の門を見たら、
“2丁拳銃・小堀”“次長課長・河本”“麒麟・田村”“メッセンジャー・黒田”と、分かる人にはわかる不幸者オンパレードで夜中にテンションが上がる。
黒田さんを確認した時点で小堀さんに勝利は無いだろうなぁと思ったら案の定で、ダントツ最下位。
現在進行形で笑えない家族の不幸話を話した挙句に最下位。
うーむ、不幸の上積み。
不幸だけど黒田さんには余裕があって、不幸な思い出を“笑い話”に料理して提供してるもんなぁ。
小堀さんの話は現在進行形なだけあって生々しく、材料だけボーン!と出しているような感じ。
考えてみれば黒田さんの“捨て子暦2回”は本人にとってかなりショックだっただろうけども35年掛けてそれを笑い話にしているのだから、小堀さんの不幸話も後35年したら笑い話になるだろう。
35年は長いけど。
その頃は2丁拳銃も私も還暦超えてるなぁ...。
小堀さんには青のちゃんちゃんこを着てもらいたい。
男の子のちゃんちゃんこだ。
小堀さんが出た企画は湯浅卓出演の「さんまのまんま」の前に終わったので、起きていられたら起きていようとフジに変えたが、チョナン・カンがかなりの難敵で、湯浅がチャイムを押したところで意識が途切れてしまった。
残念。
でも、めちゃイケを珍しく見てたらやべっち寿司に湯浅が!
相変わらず怪しい弁護士だった。
相変わらず大風呂敷を広げていた。
まさかうちの父より年下だったとは。
いっぱいいっぱいになり、夕方頃少し泣く。
こういう時、母親と話を出来ないことが一番痛い。
最初は今の自分が抱える怒りや焦りや虚しさに負けて泣くが、だんだんとこの心境を話したい母がいない悲しさや寂しさに泣く。
友達でもなく。
叔母でもなく。
悪いけど父でもなく。
どうしても母じゃなきゃだめなことがいっぱいある。
大学生の頃、ナンバーディスプレイが作動する“カチッ”となる音が鳴り、表示された番号が実家の番号だったら、何となくニヤッとした。
受話器の向こうから聞こえる母の声が元気で明るかったらホッとした。
沈んで硬い声だったら、夫婦喧嘩の原因や悩み事を私なりに聞いてあげていた。
逆に私も他愛の無いことで実家に電話をしていた。
大学生活が長くなるにつれて、最初は毎日掛けていた電話が2日おきになり、3日おきになり、だんだん不定期になっていった。
私はそうなれた自分が嬉しかったし、母も私が1人で福岡で暮らすことに慣れたことでもあるし親離れが出来たことでもあると、少し寂しがりながらも褒めてくれた。
今となっては遅いが、もっとじゃんじゃん電話を掛ければ良かった。
もっと実家にいていっぱい話をすれば良かった。
褒めてくれなくてもいい。むしろ甘ったれた私を叱って欲しい。
お母さんの言うことなら聞ける。
そういえば上司と昼食をとってた時、今でも実家に帰りたいと思う時は割とあるし、時々ホームシックにもなってますよと私が言ったら凄く驚いていた。
そういう風に見えなかったらしい。
色んなところに出歩いているし、会社では標準語だし、と。
色んなところに出歩くのは、あまりに知らない場所が多いためで、知っている場所を少しでも増やしたいから。
会社で方言を出さないのは、出す必要が無いからということと出しても分かってくれないから。
いつでもどこでも気持ちの中は九州人。
他人の会話を知らず知らず脳内で九州弁に変化していることはザラっす。