つらつらきまま


2005年03月20日(日)
生は偶然


20日は大阪ではなく鹿児島か長崎に行く予定だった。
 それが大阪になったのは、

 「お父さんさぁ、宿直明けに新幹線口のとこを通る時に
  (あぁ、これに乗れば大阪にも京都にも行けるとやねぇ)
  って偶に思うっさねぇ〜」

 という父の何気無い一言だった。
 JRの空席検索は使えない時間帯だったので、翌朝6時半に調べたら3連休の中日ということでちょっと厳しめだった。
 おまけに電話予約もネット予約も出来なかったので直接博多駅に行ってみることにした。

最初担当した窓口のオッサンは、私が
 「一番早く出発できる新大阪行きの空席は何時ですか」
 と尋ねたら
 「今日はグリーンしかないです」
 とけんもほろろ。

 2万×2人×往復=8万!

 すごすご後にし、
 「…もともと九州新幹線に乗ってみたかったとやし」「偶には親戚づきあいもせないかんし…」
 とぼそぼそ会話しながら、九州新幹線の窓口に向かおうとしたところでハタと気づいた。

 「始発やけん、自由席のとこに早う並んどったらどうにかなるやん!」と。

再び山陽新幹線の窓口に引き返す。
 今回の担当の方はさっきのオッサンと違って非常に親切。
 大阪なんたらキップという自由席の割引チケットを教えてくれた。
 しかも、指定が残っていたら追加料金無しに指定に換えてくれるそう。
 「今日は休みやから一番早くて8時59分の指定がありますけど、1時間ありますしねぇ」
 と担当の方。
 えっ!?指定が残ってるだと!?、と早速その便の指定を取る。
 「今日はグリーンしかない」とのたまってたオッサンなんて頭がずるむけたらエエねん、と思いつつ。

8時59分発のレールスターひかりの指定席で出発した私達。

10時5分過ぎぐらいにケータイのアンテナが安定したのでチケットを取った。

10時50分ぐらいに友達に
 「急に思いついて大阪に親子で行っております。親子揃って計画性無いねん(^^ゞ」
 なんて能天気なメールを送った。

新神戸に着くちょっと前に乗客の一人が携帯を片手に話しながらデッキに移動した。
 「地震」という言葉が耳に入った。
 震源地は「四国」と聞こえた。
 博多駅で買ったガイド本を見ながら「ミナミ」と「キタ」の違いを必死に理解しようとしている父に
 
 「何か、四国で地震があったごたんよ〜」
 と言いながら確認するため、携帯の「The News」にアクセスした。


「福岡・佐賀で震度6の地震発生」


という見出しが飛び込んだ。
 エーッ!と思わず声にし、父に
 「福岡・佐賀やって、地震!」
 と携帯の画面を見せた。
 エーッ!と父も私と全く同じ反応。

 そこに私の会社の人から「地震」というタイトルで
 「大丈夫!?」という本文のメールが入った。
 速攻「何故か大阪に向かっていた途中なので身体は親子無事です」と打ったが送信が中々できなかった。
 新大阪に着いてやっと送れた。
 
改札を出ると臨時にテレビが置かれてあり、大勢の人が食い入るように画面を見ていた。
 高校の卒業旅行で大阪に遊びに来ているものと思しき女の子は携帯は中々繋がらないし、画面に映る街並みは凄まじいしですっかりパニックになっており
 「なんで〜、なんで〜!?もう訳分からん〜。何で〜…」
 と泣きじゃくっていた。
 さすがの私達も
 (これは思ったより状況はひどいぞ)
 と思えた。

私が真っ先にしたことは、帰りの新幹線の指定の確保だった。
 当時、山陽新幹線やその他の在来線は全線運転見合わせ状態でいつ復旧するか分からない状態だったが、線路に異常が無ければ夜には復旧すると見込んだ。
 その時、何となく自由席よりも指定席を持っていた方が確実に乗り込めるのでは?と思ったからだ。

 20時半頃出発する便の指定を確保し、安全確認のメールと無事報告のメールを友人・親戚に送った後は腹を括った。
 ここでおろおろしても何も出来ないし始まらない。
 福岡に戻る手立てがこの時点ではない以上、無事を信じて動き回るしかない。
 ともかく当初の予定地に向かうことにした。

安否が心配だった人からは全員無事との連絡がもらえた。
 しかし、最長で2時間遅れでそのメールは届いた。
 私の友人達は福岡東部に集中しており、身体は無事でも室内はめちゃめちゃだというメールばかりだった。
 ともかくも無事でよかった。

帰りの新幹線は15分遅れで福岡に着いた。
 新幹線口の階段を下りたとき、停電していなかったので何となくホッとした。
 コンビニもガラスが割れたりしているような形跡は無かった。
 ただ、消防車や何やらのサイレンが遠くでは頻繁に行き交っていた。
 家も物は全くと言って良いほど落ちていなかった。
 収納棚や衣装棚の中には扉が開いていたのもあったが、中身が散乱していることは無かった。
 
 しかし、同じ市内でも中央区や東区・博多区周辺の被害は凄かったようだ。
 福ビルのガラスが割れ落ちる瞬間の映像は思わず
 「えっ、えっ!何これ!?」
 と叫んだ。
 福ビルに入っている丸善にはしょっちゅう行ってたし、前日には結婚式に向かおうとしてたら、KBC祭りだかなんだかを見に行こうとしていた父と偶然このビルの前で遭遇した。
 物が倒れまくっていたコンビニは、多分私が地震前日にいろんなチケットを発券するために立ち寄ったとこだと思う。
 今日になって崩壊の恐れがあることが分かった大名のビルも分かる。
 全てが一瞬だった。

福岡で大地震が起きたことを知った時、本来ならこの地震に遭遇している筈なのに遭遇していない自分の状況が恐ろしかった。
 ぞっとした。
 そして、(福岡に帰ってて良かった)と思った。
 東京にいる時にこれが起きていたら、いくらなんともないと言われても心配で心配でしょうがない。
 東京に自分がいることをとても後悔していたと思う。

もしかしたらではなく、本来なら私はこの地震に9割9分遭遇している筈なのだと考えると、あらためて
 “死は必然。生は偶然”
 と思える。
 生きていることは当たり前のことではない。
 偶々死に至るような事態に遭遇しなかっただけだ。
 冴えなかったり失敗だらけだったりしても、1日無事生きてこれただけで凄い幸運の持ち主だと思っても良い。

いつ自分の“生”が突然終わっても不思議なことではないと考えると、自分がとらわれていたことが何となくバカバカしくなってくる。
 大概のことは“どーでもエエやん、そんなの。ぐだぐだ悩むなや”と思えてくる。
 生きること以上に大変なことは存在しないとも思える。



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