つらつらきまま


2004年12月15日(水)
えぇ〜っ!

もう12月も半分過ぎましたか。
 後2週間ちょっとで今年自体が終わるんですか。
 へぇ〜、へぇ〜…。
 早っ!
 
Jr.氏を怒らせ、とうとうJr.氏のケータイから小堀さんの番号が削除されたとか。
 目の前で消すなんて、やるなぁJr.。
 今度のチハラトークで、もし小堀さんのことが話に出てきたら久しぶりに
 “ありえへんっ!考えられへんっ!しねーっ!”
 かも(^^;。
 「センマ」、果たして出してもらえるんだろうか。
 出てきても舞台で殺されてるかもなぁ。
 ぎりぎり無事だったところで、始終口は開きっぱなし&身体は曲がりっぱなしか。
 …見てみたいなぁ。
 困らぬ程度に面白いことが起きることをへらへらと楽しみにしよう。

 一方、後藤さんの日記では相変わらず可愛がられているようで、後藤さんは本当にありがたい存在だなぁと思う。

初めて「チハラトーク」に間に合うかどうか見通しが経たない。
 チケットは買ったけど。
 銀座でウイットと洒落に満ち溢れたお2人のトークを聞きたいざます。

明日は恵比寿で一日中社外PC講習。
 毎日毎日眺めるのはPCの画面ばかり。
 考えてみれば、寝てる時間&家での食事&風呂の時間以外はPCと向き合う日々がずっと続いている。
 なんだか吐きそう。 

週刊朝日の巻頭グラビアページに、“伝説の芸人”こと、ほっしゃん。が爪楊枝を頭に突き刺している写真が載ってました。
 ほっしゃん。は輝いています。

@ぴあを見たら、ラーメンズの「3月・長崎公演」という告知が目に入る。
 それだけでも驚くのに、「チトセピアホール」なんて地元も地元の劇場名だったので、「え〜っ!」と声まで出して驚いてしまった。
 わたくし、長崎時代は住吉地区に住んでおりました。
 「チトセピア」の略称「チトピー」は生理的に受け付けませんでした。
 かといって、うちのおばあちゃんが言っていた「トピア」もどうかと思ってたが。
 5文字のうち3文字言ってるんならもう残りの2文字も言っちゃえ、言っちゃえ!という感じ。
 
 それにしても、ラーメンズがあの辺うろちょろするのね。
 信号渡った先は「住吉市場」という商店街なんですが。
 今もあるのか分からないけど、住んでた当時は
 
 カレー…「カルカッタ」
 洋食…「麦ばたけ」
 うどん…「みの屋」/「秀月庵」
 お好み焼き…「茶々」
 ケーキ…「洋菓子工房」
 が行きつけでした。
 
 地区は離れるが、新大工にあるピザハウス「マルシェ」&観光通のぶたまん屋「桃太呂」も欠かせない。

福岡にいた頃はそんなに思わなかったけど、東京に来てからは、
 (いつかはまた長崎に戻りたいなぁ)
 ということを時々思う。
 長崎にいた頃は、一度県外に出たらもう戻らんなぁと思ってたのに。

 こういうことを思うのは、もう長崎に実家が無いからだろうなぁ。
 12月はとりわけ母親を思うことが多い月だが、今の福岡の家に母親は、全く住むことなく終わった。
 家にある生前の母親の痕跡は、次の休日に父と買出しに行く予定だったのか、冷蔵庫に貼っていた生鮮食品購入リストのメモぐらいしかない。
 それを引越し荷物として持って来て4年間も剥がさない父を思うと、ちょっと泣ける。
 胃の摘出手術を受けた母に少しでも早くご飯を普通に食べられる日が来るように、と手術をした年の誕生日に私は茶碗を贈ったが、亡くなった後はいつの間にか父がその茶碗を使うようになった。
 
 亡くなった最初の1年間は、思い出すことが辛かったので敢えて遠ざけていた。
 今でも辛い。
 でも、思い出さない・思い出せないことの方がもっと辛い。
 忘れたくないのでいつも思い出す。
 長崎に帰ると母親がいつもどこかにいるような気分になれる。
 母はこの世のどこにもいないということは分かってるけど、一緒にいるような気分になるだけで安心できる。
 「長崎」は私にとって「母親の街」だと思う。



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