2004年08月09日(月)
祈りの街
朝から軍歌を大音量でかき鳴らしている右翼車に遭遇。
普段から嫌いだが、今日は日が日であるだけに怒りが最高潮。
信号待ちの間、車内の男どもにガンを垂れる。
車内の男どもは、(朝から変な女おる)といわんばかりに怪訝そうな顔をしつつ、信号が変わったのでどこぞへいった。
○○だらえーねん!
むしろ、○○ーっ!
朝から怒りモードな私だったが、長崎大の外国人研究員によれば、長崎という街は「祈りの街」らしい。
最初に原爆が落とされた広島が「怒りの街」であるのとは対照的に。
8月9日にハイテンションで過ごせる長崎人はかなり珍しいと思う。
それぐらい、この日の長崎は静かだ。
市内の殆どの学校はこの日が登校日なので、子供達は学校であの日の長崎のことを勉強する。
意味はあまり分かっていないながらも、反戦歌も唄う。
私は身内に被爆者はいない。
戦地に行っていたり、疎開をしていたりで、あの日の市内にいた人はいない。
“関係ない”といえば、私に原爆は関係無い。
しかし、あの街に生まれ育つと、原爆は「他人事」になれない。
自然と血やDNAに組み込まれるような気がする。
祈りでは何も生まれない。
ならば、怨めば良いのだろうか?
憎しみしか生まれてこないだろう。
長崎の人間は静かに怒っている。
確かに原爆が落とされたことで戦争を終わらせることが出来たのかもしれない。
しかし、同時にそのことを恥ずべきだ。
あの爆弾を落とすことでしか解決策を見出せなった愚かさを。
あの日に起きたことは、決して正当化されてはいけない。
許しはしない。忘れもしない。
でも、そこで止まってはいけない。
長崎の人間は、静かに祈る。
いつかは世界の全ての人達に長崎の想いが届く筈だと願いを込めて祈る。
一発の爆弾であっという間に散った7万人の冥福や、悲しい思いの経験者は、私達が最後の世代となるようにと。
核兵器など存在しようも無い平和な世界がこの先も続くようにと。
++++++
HMVで注文していたイエモンのベスト盤が届いた。
ベストだけあり、全曲聴いたことがあった。
解散したと思うと、つくづく残念だ。
一度はライブに行けばよかった。
そういえば学部時代の友人だったマコちゃんはイエモンの大ファンだったので、活動休止前のライブを見に、卒論提出まで2週間を切っていたにも関わらず大阪&東京とハシゴして行ってたなぁ。
後日
「卒論提出2週間前に東京までオッカケしたマコ」vs「卒論提出1約1週間前に2丁拳銃の番組の公録に5時間参加したせり」で、一体どちらがミーハーであろうか、というディベートが繰り広げられた(^^;。
お互い相手の方がミーハーだと主張したが、第三者からしたらどっちもどっちだという風に結論付けられ、和解。
昼にお弁当を買いに行ったら、「Bye Bye My Love」が流れた。
おっ、とちょっとにんまり。
ちなみに私がサザンで最初に好きになった曲は「Melody」だった。
どんな歌なのか当時は全然分かっていなかったが、ただただきれいな歌だなぁと思った記憶がある。
美空ひばりってつくづく老け顔。
どの年齢の時もあの顔。
誕生日が同じ日の近藤真彦が人助けをし、且つ名前を告げずに立ち去ったのは好ましい。
だが、40歳を迎えておきながら「お兄ちゃんが助けに行くからね!」というセリフはいかんだろうと思う。
“おじちゃん”とか“おっちゃん”とかだったらもっと好感度が上がっただろうに。
トシちゃんやマッチが何かすればとりあえずヨッちゃんのところにも便乗でリポーターが来る。
avex騒動でごたごたしていたから、マッチにいちいち注目している余裕がなかったと見え、「(レーサーなのに)何で海にいるの?」という、どこにも落ち着けないコメントを発表したのみ。