つらつらきまま


2004年07月27日(火)
あの頃は全力で無理矢理楽しんでいた

中島らもが亡くなった。
 びっくりした。
 階段から落ちたことは知ってたが、何もそのまま死ななくても良いじゃないか。
 もっともっと呆れたかったよ。
 呆れながらも、(何だかもう、しゃーないなぁ)と流したかったよ。
 死んだら終わりじゃん。もうそんなの出来無いじゃん。
 呆気なく去っていかないでよ。
 呆気なさ過ぎるよ、アンタ。

+++++++++
ニュースの森で勉強漬けの子供達を特集していた。
 ひぇ〜と思ったが、よくよく考えたら私もあぁいう日々を年がら年中過ごしていたことを思い出した。
 
 その状況が“悲惨”といわれるようなものであればあるほど、私の仲間達は、“そんな状況を楽しんじゃえ!”とばかりに、些細なことに楽しみや面白みを見出していた。
 今はどうか知らないが、当時、九州の片田舎の中学は、塾通いする生徒を快く思わない教師が多かった。
 私は2、3年と担任が同じだった。
 悪い人ではなかったが、「子供は明るくたくましく元気良く」が信条なのが玉に瑕だった。
 なので、私は
 「せっかくの休みに夜遅くまで塾通いさせられて大変だな!かわいそうに」とよくいわれていた。
 私はそういわれるたびに曖昧な顔をしながらも、心の奥では舌を出しながら

 (そう簡単に可哀相がられてたまるか、バカタレ)

 などと思っていた覚えがある。
 今もそうだが、当時は15歳と今より世間知らずだったので、
 “何も知らないくせに、分かったような顔で分かったようなことを言う人”
 が世界の何よりも嫌いだった。
 
 “可哀相”、“悲惨”と思われれば思われるほど、この人達よりも楽しくいられるように、この状況を笑えるぐらいに楽しんでやる、と思っていた。

つまらないことでもツッコミどころを見つけて楽しむ気質はこの頃からあったのかもしれない。
 今では、笑ってもらえるなら身内や自分の恥をさらすことすらいとわない。
 笑ってもらったら、それでオーケー。


素敵さんから、Wa Cha Cha LIVEのビデオを頂いた。
 96年頃のもの。
 “懐かしい”を通り越して、“過ぎ去った遠い過去”だった。  
 8年前のものだから当たり前といえば当たり前か。
 久馬さんがシェイクで、灘儀さんがスミスで、堂土さんが痩せていて、サバンナの高橋さんが坊主だった。
 松口さんも随分落ち着いて仕事をしていたような。

笑金で何か投票をやっているらしい。
 興味は薄い。
 ファンが投票するのは当たり前だろうし。
 ファン以外の人の反応を知りたい。
 世の中はファン以外の人の方が多いんだし。

いっぺんぐらいはナベツネに生まれ変わりたい。
 いっぺんだけというか、一瞬だけでいい。
 「無礼だ!」なんてセリフ、現代ではヤツしか吐けまい。
 



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