つらつらきまま


2004年07月22日(木)
「とりあえず3ヶ月だけ生きてみなさい」


前の部署の先輩から、色んな人を交えて飲むから来ない?というお誘いメールを貰った。
 確かに色んな人が入ってるが、誘いを受けていても不思議は無い元上司の名前だけ無い微妙な状況に笑う。
 出席の返事を送ると

 「久しぶりにせりちゃんと一緒に飲めて嬉しいな♪
  …今頃言っても遅いと思うけど、あの頃せりちゃんにきつく当たってごめんね。
  あんなに追い詰めてしまったんだから、いくら謝っても取り返しがつかないし遅いと分かってるけど、ごめんね」

 という内容が返って来た。

確かに辛かった。
 その先輩は前の部署の中で一番頼りにしていたから、この先輩からも突き放された時、(もうここにはいられない)と思った。

 だけど、あんなに優しくて温かかった人から掌を返すようなことをされてしまう私が悪いんだとずっと思っていた。
 心当たりは無かったけど、私が無意識的にやってるから自分で思い当たることがないんだと思っていた。
 どんなに周りの人が、「それは違うよ」と言ってくれても、それは私のことをかばっているだけで、客観的に見たらあちら側の方が正しいんだと思っていた。

でも、このメールを貰って
 (あぁ、違ったんだ)
 と少し思えるようになった。
 少なくとも100%私が悪いんだ、という自責感は少し薄れた。

そして、あの頃のことを認めてくれたことが嬉しかった。
 確かに今頃謝られても、絶望感や自責感でいっぱいだったあの頃の私を救うことは出来ない。
 だけど、今謝ってもらえたおかげで、これからの私は少し救われる。
 
 元上司は、廊下ですれ違って私が挨拶しても横をすり抜ける。
 明らかに目線が合った後にすーっと視線を流す。
 だが、別にこのことについては(何だよっ!)とは思っても、そんなに悲しくはならない。
 それは、私は元上司と信頼関係が結べなかったから。
 私がいなくなった後は、あんなに可愛がっていた別の人をターゲットにいびり出したということを知った時、完全に切れた。
 
 先輩とは切れたくなかった。
 辛かったけど、豹変した裏には何か事情がある筈だと思いたかった。
 「許さない」と切ってしまうのは簡単だけど、簡単に終わらせたくない関係には、意地を張る必要は無い。

 「私は、またこうして先輩と一緒に飲み食いに行ける今があれば、それだけで充分です(^^)」
 と打って返信すると、すぐ返事が来て
 「良かった…」
 と書いてあった。

 私が辛かったのと同じ分だけ、あちらも後悔していた。
 それが分かれば、それだけで良い。

3ヶ月前、自分で命を落とすような真似はする気は無かったけど、不可抗力(事故や災害など)で命を落としてもそれはそれで良いかも…というおかしなことを思ったことがあった。
 辛さから開放されるのなら、それで良いと。
 何を見ても聞いても心を動かされることは無かった。

 ゆらゆら帝国の「昆虫ロック」の歌詞にある
 >頭振っても楽しくない 腰を振ってものれない
 >ぼく本当はいろんなこと いつも考えてたのに
 という部分を思い出しては、(どうして?そしていつからこうなっちゃったんだろう…)と部屋で泣いていた。

 そんな折、好きな作家の日記エッセイを読み返していたらこんな節があった。

 >今、すごく悲しいことがあって立ち直れないかも知れないと思っている人へ、私は、三ヶ月だけガマンしなさいと言いたい。もうこれから先に楽しいことはないだろうと思ってる人へ、三ヶ月、とりあえず三ヶ月だけ生きてみなさいと。

 >三ヶ月後のカレンダーの日付にまるをつけて、そこを目標に。それだけを考えて生きていくと、いざ三ヶ月たって、まるの日になった時、いつのまにかまた笑ったり、夢を持ったりしている自分に気づくと思う。

 >三ヶ月のガマンだ。(銀色夏生「つれづれノート6 バラ色の雲」P301)

3ヶ月経った。
 ジャリズムに夢中になりそうで、ゆらゆら帝国のベスト盤の選曲を楽しみにしていて、後先考えずに福岡まで2丁拳銃を見に行ったり、徹夜明けで大阪までプランの本公演を見に行く自分がいる。
 26歳の行動とは思えないが、誰もが納得する私らしい行動パターン。

 3ヶ月経った。
 毎日笑っている。

そうそう、プラン本公演観劇ツアー。
 新幹線の差額代をケチったがため、大阪に9時半に着きます。
 チェックインは11時とやや早めだが、1時間半も私はどこで何をすればいいのやら。
 公園で放浪人に交じって寝るのだけは避けたい。



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