つらつらきまま


2004年02月16日(月)
思い出セット

BSでCHAGE&ASKAの年越しライブをやってるのでつい見ている。
 O.Aされた曲を全部知っていて、尚且つ歌詞カード無しでも歌える自分に気づく。
 中学生の頃、とても好きだったんで90年代中盤ごろまでに出ているアルバムの曲は大概知っている。
 FCにも入ってたもんだから、当時の私のキーホルダーは七宝焼で出来たCHAGE&ASKAデビュー15周年記念キーホルダーだった。
 今でも持っている。

CHAGE&ASKAを聞くと、15歳頃の自分が浮かぶ。
 歌詞を中学生なりに解釈して、ご満悦だった頃の自分。
 この歌のように愛されたい…とかいうのを交換日記に書いてた自分。
 あぁ、穴を掘って埋まっていたい…。

 10代は多感だが移り気。
 “この歌のように愛されたい”
 と思っていた2年後、Spitzに何となく興味を持ち始め、偶々聞いた「スパイダー」という歌詞の

 >だからもっと遠くまで君を 奪って逃げる
 >力尽きた時はそのときで 笑い飛ばしてよ

 の一節にとんでもなく衝撃を受け、あっさり方向転換。
 (誰かから一応奪っちゃうけど、逃げ通せなかったら笑い飛ばしてね)
 というところに、人間味をものすごく感じてしまったのがその理由。
 
 当時、「ロビンソン」でやっとのことブレイクしたこともあり、雑誌のインタビューでもよく見かけていた。
 全く好青年ぶりも爽やかさも感じさせない、かといって陰や屈折も覚えさせない、独特の世界観を垣間見、ますますハマった。
 「白線流し」が始まる頃は、
 (私は「白線流し」の前から目をつけていた)
 と悦に入っていた。
 それまでのSpitzのキャリアを考えたら、たかが半年ぐらい前に知ってたかどうかなんて大した違いでは無いのに、その辺が分からないのが高校生のあさはかさというか若さ。
 
 「インディゴ地平線」までのアルバムは、高校3年間の思い出が詰まっている。
 「ハヤブサ」を聞くと、2丁拳銃が浮かぶ。
 何故かというと、「ハヤブサ」を聞きながら「いろもん2」を見てた時、
 (「ハヤブサ」を聞きながら見てる場合じゃないぞ、こりゃ)
 と思い、コンポを消した回のゲストが2丁拳銃だったから。
 
あの後、シドニーでのヤワラちゃんの悲願の初金メダルが非常に話題になった。
 家族で温泉に行った時、母とそれについて喋ったのを思い出す。
 それが結果的に最後の家族旅行となり、私の2000年は“好きと思えるもの”を何となく知り始めた年でもあり、“好きだった存在が世の中からいなくなった”年でもあった。
 hitomiの「LOVE2000」を聞くと、シドニー五輪を思い出し、それと関連し、色んなものを思い出してちょっと切なくなる。

 それにしても、アテネ五輪が近づいてもまだお笑い好きな自分でいるとは予想外。
 北京も余裕に過ぎそう…。



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