2003年12月04日(木)
2003年を振り返る・その1
「新すぃ日本語」を見てたらいつのまにか眠りに落ちていることが多い。
カリカが2回出て来たら油断してしまい、ゲストが使ってるとかなんとかいってる“新すぃ日本語”の時間あたりが魔の刻。
(ホントに使ってんのかー)
と軽くツッコミいれてたはずなのに、気づけば
「イシバシレシピ」
の時間になってる。
あぁ、「ヤシコ」がブームにならないかなぁ。
あの存在自体が「新すぃ日本語」なんだけど。
家に携帯を忘れて出社。
会社に財布&仕事の資料を置き忘れて退社。
さすがにこれは取りに帰ったけど。
なんという「サザエさん的ライフ」。
当たり前だけど全然愉快でもなんでもなかった。
仕事が終わらない。
だけど先月のように悪い方には考えないし自分を持っていかないようにしている。
あと少しなんだから。
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12月になるとこの「〜年を振り返る」ということをやりたくなる私です。
今年は予定分を含めると44本のライブに足を運んだ。
2丁拳銃目当てであることが多かった。
単独は福岡にいた頃も遠征してたけど、新喜劇とかルミネネタ組とか営業とか
「わざわざ遠征はしないけどどんなことをやってるのか興味がある」
ものを見に行けることが嬉しかったんで、ともかく暇とお金があれば見に行った(^^;。
(う〜ん…、どうなん?あれって)
と、劇場を出た後にやきもきするような日もあったけど、全体的に見ると、随分2丁拳銃に楽しませてもらい、助けられたと思う。
11月。
ひどい落ち込みが私を襲った。
そして、それから中々脱け出せなかった。
自分でも怖かった。
その頃、「分かりやすい人」のポストカードを手帳に挟んで暇さえあれば見ていた。
>やっぱりわかりやすいから
>ばれちゃいました 怒ってる?
>悪気なんかないんです
>ただ出来ないんです
のところは何回読んでも涙が出て来た。
(今の私だ)と。
この詩を初めて見た時は、自分に関係ないシチュエーションだと思ってたのに。
>悪気なんかないんです
>ただ出来ないんです
凄く甘えた感じのフレーズだけど、
(こう言えたらどんなに楽だろう)
と思っていた。
出来ない私をみんな、呆れてるのではないだろうか。
誰も私を必要としてないのではないだろうか。
この仕事ぶりだったら、誰からも相手にされなくなるんじゃないだろうか。
そんなことをずっと思っていた。
新しく買った2004年の手帳は、このポストカードを挟めない大きさだった。
だけど、これが1つの転機になった。
(ポストカードを読んで自分にただ重ね合わせているだけじゃ何も変わりはしない)
と思えた。
当たり前のことなんだけど、それに気づけなかった。
暗誦出来るぐらい散々眺めてきたあの歌詞を今度はすこしずつ実践することにした。
あの詩は、パッと見
「生きることは恥ずかしいことだ」
というふうに思えるけど、そうじゃなくて
「恥ずかしいかもしれないけど、それが生きていることなんだよ」
と言ってることに気づいた時、楽になった。
1つ1つの感情が「生きている」ことへの実感に繋がるんだと思えた。
だったら、色んな感情を味わいたい、と。
今、仕事関係で会う方は全員私より年上でキャリアも豊富だ。
気難しかったり、気分屋だったり、居丈高だったりと、会う前から胃がキリキリ痛むこともしばしば。
(何でここまでこのアホに言われないかんの)
と、口惜しかったり恐かったり情けなかったりる。
そんな時は
>分かりにくい人は 目を凝らして見る
>よく見ると 何も無い人
と、言い聞かせる。
どんな人にも愛せるところはある。
そこを見つけたい。
そんな心持ちで仕事をしている。