以前の私の考えとしては。
絵って写実主義でいいんじゃないの? つまり、伝えたい事があるとする。 それを伝えるための手段として絵という媒体を選んだ。 その事を正確に伝えるなら、 抽象的なものより写実的なものの方が良いのではないか。
抽象的というのは、悪い事ばかりではない。 それが標準化されれば、抽象的であるがゆえに具体的になる。 例えば数学を考える。 算式だけ見ても何がなんだか分からない人も多い。 例えば、これが何に役立つのかと聞かれ、 小学校(は、算数だけど)の例題を見れば 店でりんごとみかんを買う例題が出てたり 高校になっても池の面積を求めるようなものであったり。
だが、これが数学に慣れてきた人だと 現実問題を数式に当てはめて考えるようになる。
余計な事がない分、抽象的な式はより具体的なものとなる。
だが、これは数式や記号の考え方が 皆共通しているからという前提があってのことで 個人の持つ漠然とした抽象感を 普遍的なものとして考える事はできないだろう。
絵画における抽象とは、むしろ個人の感性によるところが大きく 描くほう、見る方によってもその意識は違う。 つまり、伝えたい事があるとするならば 抽象的な形で物を伝えるのはあまりよろしくない。
ならば、写実的にいくべきではないのか。 あるいは、基本は写実的に、 伝えたいところは強調して。 こういうことができるのが写真とは少し違うところであろう。
漫画の話になってしまうが、 例えば、困った顔を表現するのに 大きな汗をたらす事がある。 現実的にはありえないが、強調されたことで 多少絵が下手でも、伝えたい事が分かる。
例えばくしゃみをする。 風邪だと判断する人が非常に多い。 たとえ、現実的にはくしゃみよりも咳が多いとしてもである。
このように、一部を脚色する事で より読み手に伝えやすくする方法はあるのだろうが それはあくまで写実的(漫画はそうともいえないだろうが) な側面を持たせた上での話となる。
……というのが以前の感想。
本題。
先日、歩いていて自転車に乗る女子高生を見た。 坂道だったので、立ちながらこいでいた。
彼女を見て、絵、あるいは文章に その場面を書いてみたい衝動にかられる。
何か思うところがあったのだが それが何かは分からない。 だが、ぜひそれを伝えたくなった。 ならば、その場面をより忠実に書けばよい。
……そこまで考えて、ふと気付く。 それをやったからといって、伝わるのだろうか?
例えば、その風景はなんとなく良いと思ったわけだが いきなりそれを見せられて、どう思いますか? といわれても、なんと言うか困る。 感想を求められなくたっていい。 普段見慣れている光景の中で、 ある事に私が気付いたとしよう。 衝撃を受けるほどの発見だったとして その風景を忠実に書いても、 ほとんどの人は私と同様、気付かないだろう。 気付いたのは例えば人生の経験によるところがあるかもしれないし それから思うところがあっての事かもしれない。
だから、いくら忠実にその場面を再現したとしても 結局正確に伝わるかどうかは分からないのだ。
創作物の中に、自分の気持ちや主張をつめるのは よく使われるものではある。 が、確かに創作物を間に介すよりは 直接の言葉で伝えた方が理解はしやすい。
もちろん利点がないわけではない。 逆に、言葉というのは意味は分かるが理解はできないことが多い。 もしくは、理解はできるが体得できないというか。
重い言葉というのは、基本的に経験と結びついてこそ意味がある。 自分のこととして受け入れられない言葉は あまり意味がない……というか、軽い。 それがある人にはどれほど重要であっても 他方では非常に軽くすらなりえる。
こういう状況に対し、創作という舞台を設定する事で 一時的に経験を共有化させることができるのだ。 本を読めば主人公に感情移入するし 演劇を見れば共感するかもしれない。 その上で、伝えたい事を場面として伝えれば それまでの経験も手伝って、相手に理解しやすいものになるだろう。
しかし、いずれにせよ 伝えた事が万人にとっての共通でない以上 正反対に受け取られる可能性すらあるわけだ。
つまり、意思の伝達として、あまり良くない。 ただ、言葉を並べた方が(あるいはジェスチャーを交えて) より理解しやすいだろう。
これはこれで、いくらでも否定できるだろうが 少し視点を変えてみる。
本来、創作物は作ったものを客が見る。 つまり、客が見る側というのは当たり前の事だ。
だが、先ほどから言っているように、 見ている客は創作物を通して作者の気持ちを 共有できるかといえば必ずしもそうではない。
多くの有名なものに対し、 さまざまな解釈による議論が巻き起こるのは 共通化が図られていないためである。
ということは、逆なのではないか。 創作物とは、作り手が客を見るということではないのか。 そう考えた方が、創作物の意味としてしっくり来るのだ。
伝達方法として、必要十分でない 創作というものを介した伝達。 それがここまで昇華したのは 作り手が読み手を見るためのツールとして利用したからではないのか。
……まぁ、とりとめもなくなったけど ふとそんな事を考えた。
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