1日雑記

2005年12月15日(木)

昨日の日記とか、もしも私が後に読み返したとしたら
何を書いているのか理解できないんだろうな、と思う。

過去の私は他人である。

よって、客観的に理解できる内容でなければ
後日の私が理解できるはずもない。
……と、そのような事を考えたのだが
過去の私は他人であるというのは正しいだろうか?

過去に何が起こっていたとしても
今の私が気にしなければ関係ないので他人事である。

過去にどれほど険悪な仲であっても
本人が気にしなければ仲のよい人と同じように接する事は可能だ。
Aという人とBという人の仲が悪くても
AとCの仲が悪い必要はない。
BとCは他人だからだ。

でも、実際にはそういうことはない。
過去になにかいざこざがあれば
今の私も当然相手を嫌う。
よって、過去の私は他人ではない。

……そうだろうか?
人は他人のことにたいしても真剣になれる。
大切な人が迫害されれば当然反抗するだろう。
自分以外のことについても真剣に怒れるのだから
過去の私が他人であっても真剣に怒ることは可能である。

そのように色々考えてみたのだが
結局結論としては
過去の自分を他人だと思う事に何か意味があるのか、という事で
そんなことを考える事に意味なんてないという結論。

研究とかしてると無意味な事に無理やり意味をつけたくなる。
しかし本当にそれは必要な事なのだろうか?

……そーいえば先日学会で
トイレ付き車椅子の開発とか見たなぁ。


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