心の所在はどこだろう、と このように書くと妙にクサく聞こえるがそういう話ではなく。
人間の構造考えれば 心というのは脳みそだ。 考える機能は脳が司っているのだから。
ところが心というと、どうしても心臓を思い浮かべてしまう。
心臓とは「生きる」ということの中枢を担うイメージ。 脳とは「考える」ということの中枢を担うイメージ。 というならば、感情をはじめとした「心」の部分は 脳だと感じるのが自然の流れのはずなのに。
考えるという部位を持っているにもかかわらず それ以外の部位で考えているかのような「それ」は 私の感覚からすると少々違和感が。 パソコンで言えばCPUで音を鳴らすとか ファンで計算するとか ハードディスクで冷却するとかそんなイメージ。
その原因はなんだろうかと考えてみた。
確かに、考えているのは脳なのだけど 実際に情緒的な何かがあったとき、脳ではなく胸が痛くなる。 どうやらそれは人類に普遍的なものであるらしく 胸を痛めるなんて言葉も一般的に使われる。
どうも考える部分で嫌なことがあっても その部分で痛みを引き受けるわけではないようで。 ストレスあると、そういう嫌な事は頭で考えているのに 実際痛くなるのは胃だったりするわけで。 ……でも心は胃にありますなんて、 あんまりいじらしくないから誰も言わないし。
どうにも、心や魂、あるいは個人を定義する何かが 不明瞭なまま、概念として皆知っているのが原因なのだろうか。
条件反射というような言葉もあるけれど 痛みという概念にしたって 痛いのはその部位だけど、痛いと認識してるのは脳なのだから ずれているんですよね。
結局、それぞれのパーツを構成したあとで 何か1つのまとまりが意識として必要になるのでしょうか。 パーツを集めてパソコンというように 人が人と認識されるには、脳やら神経やら血やら肉やら それらをまとめたなにかがないと認識できないと。 ただし、機能が多すぎて色々な方面から考えられてしまうから 色々な認識が存在してしまう。 それの1つを心と呼んでいる。 ……違いそうだなぁ。 書いてて分からなくなってきたし。
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