昔からゲームは教育上、良くないといわれることが多い。
例えば、残虐な映画は年齢指定が入ることも多い。 有害な情報から子供を守ろう!というような すばらしい言葉がいろいろなところから聞こえてくる。
有害な情報とは一体なんなのだろうか?
国は子供に歴史を教えようとする。 歴史の教科書を紐解けば その多くは戦争や対立で埋っている。 私のように歴史が嫌いで全然学んでこなかった人間だって 太平洋戦争とか、第二次世界大戦とか そういう言葉は記憶の中に存在している。
多くの人は戦争に否定的だ。 政治家のような人たちも、本音はともかく建前では平和を謳っている。 単純になぜ戦争が否定されるかと考えると そこにあるのは悲惨なものだからだ。
ふと考えた。 もしも残虐で、生々しく、多くの人が血を流しながら死んでいる絵を 子供が見たらどうなるだろうか? トラウマになるだろうか? トラウマ、つまり精神的に傷を負うかもしれない。 そしてそういう傷から子供を守るために情報は規制される。
なぜ、それがいけないことなのか、と。
要するに、トラウマになるくらい悲惨なことだからこそ 戦争や殺人などは否定されるべきである。 そういう悲惨な現実を文字だけで説明して 本当に理解ができるものなのだろうか?
歴史の教科書では原爆を悲惨だといい 写真や資料がいくつも載っている。 あるいはその惨状を言葉で書き表している。
昔の人は言っていた。 「百聞は一見にしかず」 間接的な説明でどれほどのことが分かるのだろうか?
子供を守るという言葉に隠れて現実を教えない。 戦争という言葉や知識だけがつき、 それがもたらすものがどういう事か、本質的には理解していない。 それがとても怖いことに感じるのは気のせいなのだろうか?
全ての情報を子供に伝えろとは言わないが 過剰な規制こそが現実感をなくし ゲームをゲームとして成立させている要因の一つなんじゃないかと思う。 爆発で片腕がもげて泣き叫んでいる人や 体から腸がはみ出てそれを必死で押し戻そうとしている人。 ばらばらになった体の傍で泣いている子供。 そういう悲惨な現状を知っている上で 戦争ゲームに関わるゲームをやろうとする子供が そこまで多いとは私は思えない。
日本人は戦争を拒否、あるいは恐怖する。 それは現実として悲惨な現状を見てきたからだ。 だが世代が変ると共にその現実感は希薄になっていく。
必ずしもその状態を続けることが良いとは思わないが 今の教育というのは、戦争を口では否定しながらも むしろ戦争という行為そのものを ぼやかしているように思えてならないわけだ。
……という事が寝るときに頭に浮かんだので書き記しておく。
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