なんとなくNHKを見ていたらニートについてやっていた。
一歩間違えると私もニートになりかねないんだろうなぁ、と。 感覚的に『分かる』とはっきり言う事は出来ないが……。 ゲストで来ていた作家の人は共感できる部分があるとか そんな事を述べていたけれど。 傷つきやすい、とかそんな事を言っていたかな?
何事もひとくくりで原因を考えても 様々な原因が中で渦巻いているはずなので あまり意味が無いような気もするが…… 多分、私が自分に正直に生きるとニートにたどり着くんだろう。
ゲストの作家さんが言っていた 傷つきやすいというのは多分正解なんだと思う。 今の学校などを見ていると 体罰からはじまり、細かい教育まで 一言で言ってしまえば過保護である。
『保護しなければならない』という対象であるという考えと 『個人を尊重する』という2つの考えを並べて考えた時、 両方を満たすと過保護になるのではないか。
保護(教育)というのは知らない人に対して教えると言う事だ。 一方、個人の尊重はその人の考えを大切にすると言う事である。 『知らない』人間の『考え』とはいったい何なのだろう?
未熟である事を認めながら それを尊重するということ、 その事に矛盾があるような気もするのだが それを補おうとすると尊重するようにしながら教育する必要がある。 間違えて歩く人間を正しい道に引っ張るのではなく 何度も何度も言葉で方向を正そうとする。 今やっている教育というのはそういうものなので 手で引っ張られる事に子供がなれていない。 だからいざ社会に出ると言うときに傷つく……。 確かにそんな気がするので 傷つきやすいというのは正しいのだろう。
けどニートの原因やらを考えたとき 傷つきやすいと言うのは大きな要因なのだろうか?
甘えなどに代表されるように 悪い方向に自分に正直だということが ニートの大きな原因なんじゃないだろうか。
先日、ふとしたときに冗談で考えていたのだが
「私が自分に正直になると 他人に対して嘘つきになる」
冗談で、友人にあること無い事吹き込んだり 嘘をつくことがある。 根拠の無い理論をあたかも理屈っぽくしゃべる事もある。 これらの行動をとると何故か顔にすぐ出て、にやけてしまうし 声が笑ってしまうので冗談だとしか思ってもらえず そのもくろみは成功しないが。
成功しても冗談だったとすぐに伝えるので とりあえず冗談としてとらえてくれるのだが……。
冗談は冗談として もしも私が悪い方向に正直になったら 人に対して嘘をつく、というのが一つの形になる気がするわけだ。
働きたい気持ちというのがある。 今から実際楽しみだが 生涯楽しんでいられるとも思わない。 辛い事もあると思う。 そういう時、自分を欺いてでも続けるだろう。 その後、また楽しめる事があるかもしれないし。 もしもそのとき、自分を欺かず、正直になっていたら きっとニートになっている。 その後働きたいと言う気持ちはなく ただ、だらだらと生きる。
たとえると……なんなんでしょうね。 禁断の果実の枝が年々低いところにおりてきているのかもしれない。
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