ふと、振り返れば私は大学で何を知ったのだろうか、と。
正直に言いまして、現在所属している大学は 人に声を大きくして言えるような大学じゃないです。 偏差値でいうと、とても低いところ。
何校も受験した結果こうなったので 自分の実力だと良く分かっているし 後悔したということは無いです。
けれど、同時にどうしてもコンプレックス のようなものを抱いていたのも、また事実です。 入学当初、ですけれど。
もっといい大学に入りたいというような欲求です。 やりたい事が見えていたわけではなく 単純なブランドとしての。
そういうわけで、一年目は少しわがままをさせてもらい センター試験を受けさせてもらったりと。 安いものでもないんですけどね。
まぁ、結局勉強を頑張ったということも無く 自分に対する諦めやけじめみたいな意味で 受けるだけ受けて終わったという感じでした。
それからは多少のコンプレックスや劣等感を感じながらも 普通に大学生活を送っていたし 結局どこに行っても本当にやりたいのならば どのような環境でも出来るはずだ、 と納得したりしました。
言い訳や負け犬の遠吠えというよりは そういう考えの下、結局行動を起していないなら それはやっぱり自分が悪いし どこに行っても(悪い意味で)変わらない というものです。
最終的には色々な運があって 今の大学に入れてよかったと考えています。 再度受験できるといわれてもう一度受験するかは謎ですが(笑 まぁ、最初に言ったように運がかなりあったので……。
――という前提がありまして、と。
ふと就職のことや今の自分の行動を思い起こしてみると…… やっぱりブランドネームを考えてしまったり 行く事を決めた会社について 他の人、あるいは他の会社より 優れた点を探して優越感に浸るという およそ趣味がいいとは言い難い行動を取ることがありまして。
一体全体、私が大学で感じ取ったことは どこに行ってしまっているんでしょうか。 そんな気持になりました。
……まぁ、今も大学で感じたことは正しいと思っているし 就職においては安定性ってものもありますし。 ずーっと同じ会社にいる可能性が どれくらいなのか分からないけれど 先の事考えると安定性も重要な要素だったりしますし。 大学云々とはまた違った意味合いがあるとは思いますけどね。
あるいは、進路を決めるという点においては そういう見栄や何やらで決めてしまってもいいのかもしれません。 大学進学や就職を問わず。
これからを決める環境のきっかけですから。 もしも、本当にやる気になれば どんな環境でも行動が取れるのであれば 入れ物を重視する必要は無いのではないか、と。
人間が入れ物の中に入れられたとして 入れ物が大きければ、中で自由に動けるし 小さければなかなか自由に動けないけれど どうにか体勢を変えていくことは出来る、みたいな。
考えてみれば、親が子供に言う 『いい大学に進めばいい会社に入れるから……』 って言葉の終着点にきちゃったわけですね。 この先は私次第ですかね。 いい会社かどうかは知りませんが。
などと、書いてみたものの 友人などの社会人になってからの生活を見てみると 気合と根性で何かやれるってレベルを超えているよーな。 本気でやる気になっても出来ないかもしれない。
大変そうです。
一部で言われている『ブラック企業』 社員使い捨てとか苛酷な労働環境とか。 そういうところを選んでしまったら さらに自由がなくなってしまい 普通の状態よりもさらに厳しい状態で 行動しないとならなくなりますねぇ。
といっても、そういう企業にあって 転職する人もいることを考えれば どうにか工面すれば工面できるのかもしれないけれど。
少なくとも、零細金型業の社長さんの 掲示板での書き込みとか見てると まったく余裕なさそうで。 そういうのに比べればブラックと言われようが まだ楽なんじゃないのかなと楽観視。
実際に自分で経験してみないと 責任持った話が出来るわけも無く 全体的に甘く見た発言なのかもしれないけれど。
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