やっぱり考え方が特殊なのだろうか? 私自身の話であるが。
全部が全部そうだとは思わないが……。 一部特殊といわれればそうかもしれない。
でも、多かれ少なかれ……内容はともかく 変わった発想をしてるものだと信じて疑わないのだけど。
あえて、このことに無理やり理由をこじつける。
私自身、変わる事……自分が変わる事が恐い。 環境が変わることが恐い。 今という環境の中でずっと過ごしたいと願う。
一方で変わりたいという欲求も確かにあるのだ。
わがままだけれど 「私の望むように環境が変わり、それがずっと続く事を願う」 恐らく、これが私の望みなのだろう。
現実を見ていない。 ……率直に言えばそういう事なのだと思う。 望みに限って言えば、現実を見ていないわけだ。
とはいえ、23年の中で 願えば叶うわけではないことを知っていて 無理なことは無理である事も知っている。 だから、この望みは未来永劫叶わないであろうとも知っている。
だけど、望みが望みである以上…… 期待して、『綻び(ほころび)』を探しているのかもしれない。 現実のどこかに在るかもしれない綻び。 それを引っ張ると、私の望んでいない世界が 編み物の用にどんどんほつれていく。 そしてその下から本当の、私の望む世界が出てくるわけだ。
正面から見る世界は編目が見えないのだけど…… 少し横から見るとアラがきっとある。 そんなものを探してまっすぐ世界を見ないのではないか、と。
冗談ですよ、上のこと。 今の状態にも満足はしている。 後悔ではなく、足りないものがあると感じる事はあるけど。
フィクションなら これが本気でも許されるとは思うけど。 私自身の生涯をフィクションで終わらせたい。 フィクションなら許される。
謝りたくなる事が小学生……中学生もかな、あったんですよ。 全てに謝れば楽になれるのかなって。 何に対してでもなく、 純粋に謝る。 ……大切なのは誤る事ではなく、 つまりは許してほしかったわけなんですが。
悪い事をしたのではなく、 純粋に楽になりたかったのだろうけれど。 当時が思春期だったから……だと思う。
まぁ、これも本心ではありません。 ただ、そういう考えも出来るな、と思うことはある。
やや、まっすぐでない思考はするけれど 実際に行動するときには 大人として境界線を引いているつもり。 ……最近少しこれが怪しいけど。 思想は思想、行動は行動。 両者は密接に関係しているけど やっぱり違うものだと思う今日この頃。
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