新聞の投書を読んだところ、 携帯電話のことについてかかれていた。
祖父が死んだ時、だったろうか 医者が携帯の時計を見て 「○時○分 ご臨終です」 と、言ったらしい。
それに対して違和感があったようだ。
携帯電話自体は病院でも使える電話だったそうで、 違和感があったのはそういうところではないが。
なるほど、確かになんとなく違和感がある。 携帯電話の時計は良く時間がずれる、 とかそういうことではなく違和感がある。
思うに、その違和感を感じる要因の一つは 携帯電話の用途が、本来通話にあるからではないだろうか。 あるいはメール。
若い人の間では腕時計を持たずに、携帯で時間を調べる人も多い。 とはいえ、携帯電話の時計というのは あくまで補助的な機能であるから 補助的な機能を用いることで、大切な時刻を知ることに違和感を覚える、と。
さて、これがカレンダーだったらどうだろう? 恐らくカレンダーを見るよりも、携帯電話のデジタル表示の日付のほうが 人の見間違えを考えても、正確なのではないだろうか。
ところが、実際に大切な機会に携帯をだして カレンダーをみて、人に何かを告げるのはどこか違和感を覚える。
……大切な時に、携帯を開く(見る)という行為に違和感があるのか?
電車であっても、電車に乗っているときの通話は ノーマナーとして扱われる。 最近はメール等はよくなったようだが。
携帯というのは、他人とのコミュニケーションをとるための機械である。 大切な話はあれど、授業中等に携帯電話を開くことは 普通に考えれば良い印象は与えない。
ここで、携帯電話を他者と話す為の媒体(仲介物)としよう。 携帯電話を開く行為は、真剣な状況にあって、 例えば、ご臨終を言い渡す時にあって 雑談をする為の準備行為に見える。 そう考えればこの違和感にも決着がつくかもしれない。
違和感って難しいね。 具体的に説明できない。 上の文章でもちょっとね……。
|