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2015年03月01日(日)  お金と時間? ゲームと読書?

ある種の時間は、お金で買える。
移動時間の短縮はそのわかりやすい例だ。東京から大阪まで、青春18きっぷ(2,370円)だと9時間以上かかるところを、新幹線(13,620円)なら3時間弱で行ける、というのはつまり、その1万円で6時間の自由な時間を買っていると言い換えることができる。(厳密には単に時間を買うというよりも、時刻表の下調べや何回もの乗り換えといった諸々の手間を、お金を払うことで解決しているといったほうがいいのかもしれないけれど、今日はお金と時間の関係を中心に考えたいから、それ以外の要素はできるだけ排除していく。)

「お金で時間を買う」とき、私たちはお金よりも時間に価値を置いている。そこに費やす時間が「もったいない」から、代わりにお金を使ってその時間を買おうとする。反対にお金のほうを「もったいない」と思う人は、お金を使わずに時間を使うことを選ぶだろう。

細かい話をすると、ある日の移動にかかる6時間を1万円で買う場合、その1万円を得るためにどれくらいの時間がかかったのかという問題がある。時給1,000円で働いている人は、1万円を手に入れるために10時間働かなければならないから、10時間働いて貯めた1万円で6時間を買うとき、(その1時間とこの1時間が同じ価値を持つとすると)単純に見れば4時間の損が出る。ということは、1万円を6時間で割ると1時間あたり1,666円なので、時給がこれを下回る人にとっては東京−大阪間の新幹線は割高だということになるし、時給が高ければ高いほど、新幹線のほうが割安になる。もう少し言えば、飛行機に乗っても十分に元が取れる人種が、この世の中にはたくさんいる。

お金をたくさん持っている人は、お金の価値を比較的低く考える傾向にある。逆に時間をたくさん持っている人は、できることならお金よりも時間を使って、お金を払ったのと同じだけのものや結果を得ようとする。時間が貴重なら時間を大事にするし、お金が貴重ならお金を大事にする。お金が無限にある人にとっては時間のほうがずっと貴重だし、時間が無限にある人にとっては……はて? 時間が無限にある人など、この世にいるのだろうか? この表現が適切でないなら…時間だけは「ありあまっている」人は、時間よりもお金のほうが貴重だと考えて行動するだろう。
なお、「貧乏 暇なし」の件については別の機会に検討したい。話がどんどん本題から逸れてしまうからだ。

さて、以上は長い前置きである。今日の本題は、移動時間のことではない。

ゲームにお金を使わないなら、なぜゲームに時間を使うのだろう。

今日のテーマはこれである。ここにたどりつくまでに、ずいぶん時間がかかってしまった。
最近、本にはお金を使いながらも時間を使わず、ゲームばかりしているのにゲームにはお金を使わないから、逆転現象が起きている。逆転と言えるのか微妙ではあるが、読みたくて買ったのに読んでいない本がどんどん増えていって、以前なら本を読んでいたはずの時間がお金をかけないゲームに費やされるという状況ができあがっている。あれ? 逆転だと思っていたけれど、もしかしてこれってお金も時間もなくしているだけなのでは……いや、いやいや、そういう風に考えるのはやめよう。ますます収拾がつかなくなる。

最近、時間さえあればゲームばかりしている。それでもオンラインゲームにはお金をかけない主義である。そこにお金を使い始めたらキリがないし、ゲームに使うくらいなら、ほかのことに使いたいと考えている。ということはつまり、ゲームにそこまでの価値を見出していないということなのだろう。一方で、本に使うお金は以前より少なくなったとは言え、定期的に買い続けていることは以前と変わらない。時間があれば確かにゲームをしているが、できる限り本も持ち歩いている。ときどきゲームに向かない環境があり、そんなときには本が活躍するからだ。

なぜ私は、本を読むためにはお金を払ってもいいと思っているのに、ゲームをするためにはお金を払おうとしないのだろうか。…と書いて気づいたけれど、正しくは、ゲームをするためのお金、ではない。そこでお金を使うとすれば、ゲームをより楽しむためのお金、にあたる。いずれにしても、ゲームのためのお金であることには違いない。
不思議なのは、ゲームにお金を使わないのはなぜか、ということではない。お金を使ってまでするほどの価値を見出していないのだとしたら、どうしてそのゲームにここまでの時間を費やすのかということである。正確に測ってはいないが、おそらく毎日2時間程度、多い日で6時間以上をゲームに費やしている可能性がある。平均で週20時間だとしたら、年間1,000時間を超える計算になる。1週間のうち1日程度、12か月のうち1か月以上は、ゲームに費やされて消えているということか。いま初めて電卓を出してはじき出したが、恐ろしいことになっている。どうも最近、時間が経つのが早い気がしていた(←これは年のせいかも)。
まぁ実際には、電車の移動時間やら録りためたビデオの消化やらの時間に並行してゲームをしていることが多く、純粋にゲームだけして時間が過ぎているわけではないけれど、これだけの時間を費やしているということは、私がゲームをするのにはそれなりの理由があるはずだ。趣味ってそんなものでしょ、と言われてしまえばそれまでだとしても、理由というか、価値というか、そういうものがあってほしいと思ってしまう。
たとえば小さな達成感。頭を真っ白にして集中する瞬間。それに、「継続は力なり」を実感させてくれたこともある。私がゲームに見出している価値が、概ねこういう種類のものなのだとしたら、それはお金を払わなくても得られる価値であって、その代わりに、ある程度の時間を割かなければ得られない価値でもあるということがわかってきた。冒頭で挙げたように、お金で買える種類の時間もあるが、そうでない時間というのも確実にあるということだ。
ゲームは楽しいことが大前提で、娯楽という意味では小説を読むのと変わらないけれど、小説にはない半強制的なシステムを備えている。プレイヤーを緩く束縛するような仕組みを、オンラインゲームは標準装備させられている。その策略にすっかりはまっている私は、しばらくゲームをやめられそうにない。

この話、書き始めた段階では、お金をかける価値を感じていないものに時間を割くのはもうやめたら?という方向に行くのかと思っていたけれど、蓋を開けてみるとこんな方向に…。

それはそれとして、お金と時間についてはバランスが偏らないように考えないといけない。
時給が上がったこの2月。そろそろ新幹線に乗ってもいい頃だろうか。


真 |MAIL