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2004年11月25日(木)  書くつもりがなくても本当にもやもやしているときは仕方がない。

ちょっと疲れている。

これじゃだめだ。

なにも給料のことを言うつもりはないんだけど。ついそちらへ思考が飛ぶ。

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槇原敬之の‘EXPLORER’を聴いている間に過ぎていく日常。
この間までBUNP OF CHICKENの‘ユグドラシル’だった。

それは何も悪くない。それ=こんな日常。

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『夜回り先生と夜眠れない子どもたち』を立ち読みした。
表紙、意外にも細い印象の水谷氏。
その活動だけを聞いて、大学時代に「非行」関係の講義で出会った某先生のような、大柄なもっさりした男を勝手に思い浮かべていた。

尊敬せざるを得ないけれど、どうしても納得できない部分がある。100%の共感に届かない何かがある。
今日はそれを「子どもとの距離」「子どもへの姿勢」というような曖昧な言葉で表現したけれど、本当はもっと具体的な何かかもしれない。
達観、諦念、第三者。そういう、好ましくない意味で‘独立した’意識を感じてしまうのはなぜだろう。
彼自身の境遇まで書かれた本だったというのに。

死んでしまった人間はもう戻ってこない。
他人が何かできるところにいる人間は、きっと僕らが何もせずにいても戻ってこられる。

だからいったい僕はどうしたいんだ。いまさら何を言うつもりなんだ。
助けを求める人間を助けることができたらそれで十分じゃないか。

じゃあ、本当にそれでいいんだね。


真 |MAIL