想
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| 2004年11月25日(木) |
書くつもりがなくても本当にもやもやしているときは仕方がない。 |
ちょっと疲れている。
これじゃだめだ。
なにも給料のことを言うつもりはないんだけど。ついそちらへ思考が飛ぶ。
*** 槇原敬之の‘EXPLORER’を聴いている間に過ぎていく日常。 この間までBUNP OF CHICKENの‘ユグドラシル’だった。
それは何も悪くない。それ=こんな日常。
*** 『夜回り先生と夜眠れない子どもたち』を立ち読みした。 表紙、意外にも細い印象の水谷氏。 その活動だけを聞いて、大学時代に「非行」関係の講義で出会った某先生のような、大柄なもっさりした男を勝手に思い浮かべていた。
尊敬せざるを得ないけれど、どうしても納得できない部分がある。100%の共感に届かない何かがある。 今日はそれを「子どもとの距離」「子どもへの姿勢」というような曖昧な言葉で表現したけれど、本当はもっと具体的な何かかもしれない。 達観、諦念、第三者。そういう、好ましくない意味で‘独立した’意識を感じてしまうのはなぜだろう。 彼自身の境遇まで書かれた本だったというのに。
死んでしまった人間はもう戻ってこない。 他人が何かできるところにいる人間は、きっと僕らが何もせずにいても戻ってこられる。
だからいったい僕はどうしたいんだ。いまさら何を言うつもりなんだ。 助けを求める人間を助けることができたらそれで十分じゃないか。
じゃあ、本当にそれでいいんだね。
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