想
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| 2003年10月30日(木) |
同一性の衝突/現実としての完全無欠 |
現実的に生きていると、 現実的なものしか目に入らなくなるのだろうか。
現実の同一性は自分自身のそれより遥かに脆くて、 いったい僕にとっての現実とは何だろう、 という疑問が幽かに頭をよぎった。 そんな非現実的な考えこそ、 まさに僕そのものであるように思えて、 僕自身の同一性を獲得した僕は、 さらに現実の同一性が信じ難くなる。
疑うべきは目の前の現実か、ここに在る確かな僕か。
* こんな風に書くと、 「現実」という言葉がまるで具体的な人の名前のように見えてくる。 それは曲解。
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小池真理子の『欲望』を読み、頁の上で彼女たちの身体を弄びながら、何一つ欠けてもいなければ失ってもいない癖にいつもどこかしら満たされていない僕は、まだうだうだと完全と無欠との違いについて考えている。
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