想
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友人と銀座でデート。
11時に待ち合わせだったが、 起きたときには出かける時間で、 いつものように僕が遅刻。 しかも、30分の遅刻。 大変申し訳ない。 いつもいつも迷惑ばかけとります。
という訳で11時半に地下鉄銀座駅に着くと、 友人は改札を出たところのコーヒー屋でコーヒーを飲んでいた。 何も口にせず出かけた僕も、カプチーノと、 ほうれん草とチーズのパイと、小さなチョコレートのパイを。 美味い。コーヒーもパイも、かなり美味い。 しかも、カプチーノに好みのフレーバーを追加できるときた。 これはいい店を発見したぞ、友よ! 感激と空腹から、おかわりを。カフェなのに。 そのとき食べたズッキーニの出来立てパイがまた、めちゃ美味かった。 彼女と一緒にいると、本当に美味いものとよく出逢う。
その店で、彼女から土産物やらなんやらのベストセレクトな品々を頂き、 こちらからは博多土産をプレゼント。 その後、相田みつを美術館へ。
*** 自己否定と自己肯定 卑屈と傲慢の狭間 というメモを先日残した。
みつを自身が親鸞聖人の言葉から読み取っているのが、 この「自己否定」と「自己肯定」である。 相田みつを本人の言葉にも、 厳しく自己を戒め、悪い部分を抉り出し浮き彫りにする部分と、 自分や人間を絶対的に認めようとする寛容の態度の両方が見られる。
深く「にんげん」を見つめた人。 人間である自分をずっと追求しながら、 卑屈にも傲慢にもならないようになんとかバランスを取りながら、 自分の本心に忠実なたくさんの言葉を生み出し、遺した人。
いまの僕には到底、できないことばかり。 嫌気が差すほど卑屈で、そのくせ驚くくらい傲慢で。 それを正そうという努力がこれっぽっちも見られない。 んー。なんだか人間として最底辺にいる気がしてきた。 問題なのは、言葉だけ取り繕っても駄目だということ。
面白いと思うのは、 とても宗教的な、仏教的な言葉が多いのにもかかわらず、 彼の言葉がたいへんな数の人々に受け入れられているということだ。
それにしても、いい‘勉強’になった。 ただ、いまはまだ‘頭で’わかっているだけのこと。 自分の身体に相田みつをの言葉を納得させて、動かさなければならない。 彼の言うところの、「具体的に」というやつである。 たぶん、いまの自分にいちばん足りなくて、いちばん必要なもの。
***
美術館に入ったのは1時過ぎ頃だったと思うが、 出たときには3時をまわっていた。 ふたりで先ほどのカフェへ再び入り、 4時半頃にそこで別れ、僕は博品館へ。 しかし、お目当ての積み木はなかった。がっかり。 肩を落としてJR新橋駅構内の立ち食い蕎麦屋で どうということもない温かい月見そばをすすって、帰路についたとさ。
実はその夜、むしろ丑三つ時もとうに過ぎた時刻から、 昼にはできない×××談議で相当盛り上がった、なんて、 僕と彼女とパソコンしか知らないことだ。
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