想
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あと10分で、10時だ。 僕はかなり急いでいた。 この辺りでは、多くのファミレスは10時から深夜料金が加算される。 値段が10%高くなれば、税込み650円のつもりが715円になる。 結構な出費だ。できれば無駄な金は使いたくない。
やっと仕事を終えて帰ってきた僕は、まず重い荷物を部屋に置き、 それと引き換えに読みかけの小説を鞄に突っ込んで、靴を履き直した。 ドアを開け、マンションの廊下に出る。
このマンションは、1つの階に10くらいの部屋があり、 それが1列に並んだ造りになっている。 僕が暮らしているのは1階で、端から3番目の部屋だ。 その、廊下の端の方から僕の部屋の前辺りにかけて、 最近、電気が点かなくなってしまっている。 目の前は駐車場になっているが、 ちょうど廊下の端の部分に階段が作られているため、 廊下自体のライトがなければ、本当に真っ暗になってしまう。
ただ暗いだけなら、どうということはないのかもしれない。 だが、この暗い廊下の突き当りには、隣のアパートのドアが見えるのだ。 真っ暗な闇の中に、白く浮き上がる洋風のデザインのドア。 イメージするより、実際ははるかにそれっぽい雰囲気がある。 最近は怖いので、あまりをそちらを見ないようにしながら生活してきた。 が、今日は、自然とそちらに目が行ってしまった。
人がいたのである。 二十歳前後の女の子で、緩やかなラインの白いワンピースを着ている。 階段の方を向いて歩いているので、顔はわからない。 僕の目は、その女の子の後ろ姿に釘付けになってしまった。 動きが静か過ぎる。 買い物らしいビニール袋を提げているので何か音がするはずだが、 その女の子の周りからは、音という音が除かれている気がした。 やばい、と思った。 もしかしたら、これはやばいかもしれない・・・。 僕が見つめていた数秒の間、彼女は階段に向かって音もなく歩いていたが、 突然、その足を止めた。 僕の心臓は、彼女の動きとは正反対に、バクバクと音高くなっている。 今にも、彼女がくるりとこちらを向くのではないかと思った。 無表情か。あるいは、思い出すのも恐ろしいような形相か・・・。
だが、彼女は振り向かなかった。 ただ立ち止まっただけだった。 すると、階段の陰になっているところから、ひとりの男が出てきた。 大学生風の若い男だ。 どうやら、彼女は、その男を待つために立ち止まったようだった。
何だ。 別にただのカップルじゃん。
そう思って、僕はすぐに目的のファミレスに向かった。 階段を上っていった彼らの姿が、 その後本当に掻き消えなかったのかどうかは、 だから僕にはわからない。
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