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2004年06月01日(火) 函館報告

 函館、行ってきました。

 29日。
 朝早くに列車に乗りました。
 2度乗り換えて函館へ。
 そのままタクシーで式典会場へ。
 この時、車椅子使用者が2名いたのですが、タクシーの運転手は笑顔で車椅子をトランクに積んでくれました。
 なかなか快調な滑り出しです。

 式典の記念講演は逸見春恵(故逸見政孝夫人)さんでした。
 お知り合いの方や、支持している方がこれを読んでいたらごめんなさい。
 実にヘタで、全く内容のない講演でした。
 そう感じたのは俺だけではなく、一緒に行った全員が同じく思っていたので、・・・そういうことです。
 その後、全国から集まったボランティアの同志が一堂に会して懇親会でした。
 熱い人たちの輝いている瞳を見られるのは実に楽しいものです。
 ホテルの部屋に戻って一緒に行った仲間と更に話に花を咲かせて、寝たのは2時頃でした。

 30日。
 朝9時から総会でした。
 その前には、ホテルからタクシーで外に出て、海鮮市場(ホテル指定)で朝ごはんを食べました。
 美味しかったのですが、デカイほっけの焼き魚とイカの刺身を食べただけで、ドンブリ飯は全て残してしまいました。ごめんなさい。
 総会は11時で終わり、その後は観光に出ました。
 まず行ったのはトラピスチヌ修道院。正式名は「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」。現在も70名ほどの修道女が祈りと労働を中心とした自給自足の生活を送っています。
 実はこの70名の中のひとりは俺の地元出身の元生物の先生です。
 こちらから一緒に行った仲間(車椅子のエッセイスト)とは懇意の仲で、実に16年ぶりに再会しました。しかも、シスター(元生物の先生)自らホテルに足を運んでくださり(まずあり得ない話なのです。なぜなら、この修道院をやっている修道会は日本一戒律の厳しいところで、たとえ親が死んでも会いに帰れないし、もちろん手紙すら出せないのですから)大事な大事な1時間を過ごしました。
 祈りによって全てが救われる、かどうかはさておき、その外界と全く遮断された世界に身を置いて祈りを捧げる道を選んだシスターの心を思うと、俺のような汚れた人間には修道院の裏門を潜り帰院されるその後姿が哀しかったです。
 でも、シスターは元気でした。それを見送る車椅子のエッセイストも笑顔でした。俺が泣くわけにはいきませんでした。
 もう会えないかもしれない。でも、互いに生きている。その現実が元気な笑顔のわけなのでしょう。哀しいけれど、美しいと俺は思いました。
 修道院を後にし、その後は立待岬、レンガ倉庫郡とタクシーで回り、先に帰る仲間を駅まで見送りに行き、ひとまずホテルへ戻り車椅子の二人は休憩。
 なので俺と妻ともう一人で五稜郭へ行きました。
 夜は居酒屋でご苦労会をやり、早々に切り上げていざ函館山へ。
 100万ドルの夜景を堪能してきました。
 ホテルに戻ってご苦労会の続きをやり、その夜は1時には寝てしまいました。

 31日。
 もう帰るだけです。
 午前中はのんびりホテルで過ごし、1時40分函館出発。
 夜には自宅に戻りました。

 函館は観光地ですから当然なのかもしれませんが、タクシーの運転手がとても親切でした。
 福岡はひどかったから、余計に感動しました。





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