昨日の夜中にビデオ屋に「ルパン三世 セブンデイズ・ラプソディ」を返却しに行き、一番最後に放映された「金八先生」のスペシャルをレンタルしてきた。 1.2年くらい前にオンエアされた時、見逃してしまっていたので。 ビデオ屋からの帰り道、少年に猥褻をしたショタコン野郎に、もし自分がリアルで遭遇したりしたら、という事を考えていた。 俺がそいつを刺したとしても、ショタコンである事がバレる事を恐れたり、自身の犯罪行為が公になる事を避ける為、そいつは俺を起訴する事は出来ないだろう。 殺人や植物人間にさえ発展しなければ、そいつをどれだけ痛めつけても罪になる事は無いのかもしれない、とか。 被害届けを出すかどうかを、そいつ自身が判断出来る状態でさえあるのなら、とか。 ふと、それは少年が性被害に遭わされた場合にも言える事なんじゃないだろうか、と考えた。 可愛い少年が汚い奴らにレイプされ、それが公になったところで、被害に遭わされた少年自身が黙秘し続けてしまったら、そいつは法でも裁かれないんじゃ・・・、と。 また、絶望感に憑かれてしまった。 家に帰り着いた後、疲労のせいか、そのままベッドに倒れ込むような感じでジャンパーを着込んだまま眠ってしまった。 今日は午前1時半頃に目が醒めた。 2時間くらい寝たと思う。 先ほど考えていた事が尾を引いているのか、 寝起きから、タイプの少年がそういう目に遭わされたのだ、という事実に対するリアリティが感じられてしまって、バクバクと心臓が高鳴っている。
あの子が現れた事によって生じた、自分自身の内面の変化に、ずっと戸惑い、変にストレスがかかってしまう。 自分が自分でなくなってしまったような感覚で。 あの子が現れた事によって、「もう人生の終着なんだ」と、考える事も面倒になって、感じる事も放棄して。 あの子が無事で、更に自分の前に現れてくれたのはとても嬉しい事だ。 それによって余裕も生まれ。 でも、自分はこんな風に余裕を持っていて良いのだろうか、と後ろめたさを感じたり。 また、タイプの男の子がそういう目に遭わされるという現実は、今も変わらず存在している。 今は考える事を放棄している感じだけど、本当は、それは俺にとっても凄く辛い事のはずなのに、と不安や焦り、後ろめたさを感じてしまって、それもまたストレスになってしまったり。 それに、俺はあの子が『無事だったのだ』と確信出来た訳じゃない。 どれだけ喜んでも、後になって『やっぱり自分はやられてた』と聞かされる可能性だって感じるし、そうでなくてもあの子が隠しているだけという可能性だってとても強いし。 だから、感じる安心感もとても中途半端になってしまって。 また、3年半前に一度擬似的に味わったあの安心感。 あの時味わった安心感が最大で、結局その安心感は偽者で。 せっかくあの子が『無事だ』と言って再び現れてくれたのに、もうあの時以上の感動は味わう事は出来ないんだろうな・・・、とか。 幸せを信じる事が出来ない為に、自分自身でそれを中途半端なものに貶めてしまう。 また、今まで俺は「喜ぶ事」を拒絶してきた。 また今の俺は、今まで聞かされてきた数々の酷い話によって、以前ほどタイプの男の子に『特別感』を感じる事も出来なくなって。 色々な不満を感じて、変にストレスを感じてしまう。 せっかくあの子が居てくれるのに、もう、完璧にそれらを感じる事は出来ないんだ・・・、と。 午後13時頃に眠りに就いた。
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