リュカの日記

2006年05月10日(水)

今日は午前4時半過ぎくらいに目が覚めた。
目が覚めた直後から、親父の出すうるさい音に意識を奪われ、何も考える訳に行かないような状態が続いた。それは十数分続いた。
時間を大分奪われた。
音が出され始めたのは、俺が目覚めて数秒後から。
さすが台無し野郎。
昨日一昨日と、学校から帰宅するとすぐに眠りについてしまうようになってしまった。
学校だけで、疲れ切ってしまうのだ。
帰っても、何も出来ない。

映画「ノロイ」を観た。
中盤の終わりくらいまで、何だかやたらと笑えてしまった。
ヒステリー状態の人間やキチガイな人間の言動を目にするのが、自分にとっては笑えるツボになっているのか。
その反面、観ていて微妙な吐き気を覚えた。
終わりの方の10〜20分ほどで、その吐き気はとても強いものになっていった。今にも吐き出してしまいそうな気分の中で観終わった。
どういう場面に吐き気を感じたのか、自分でもよく分からないのだが。

今日の授業は2時限目からだ。
2時限目の「芸術学」の途中から出席した。
この授業に出席出来たのは、もしかすると、今学期が始まってから今日が初めてかもしれない。
昼休みになり弁当を食べた。
3時限目は「日本文学基礎演習」
この授業で、親を亡くし悲しみに暮れ続けている娘の状態について、こういう言い回しが使われていた。
「どんなに嘆き悲しんでも、その甲斐があるはずもない」
「何と辛く悲しい事よ。思い事をしても何の甲斐もない」
確かに、以前の自分もこんな風な状態だった。
悔しくて、悔しくて、信じたくなくて、あり得なくて。
毎日毎日悔やんで悔やんで。
でも、いくらそうやって悔やんだところで、その現実が何とかなるなんて事はあり得なかった。
授業中、そういう事を振り返り、色々な事を考えた。
昔の自分はそこまで悔やみ続けていたのが日常なのに、今の自分はどうだろう。殆ど麻痺させ、何も感じようとしないではないか。
いや、自分は麻痺している訳じゃなく、ただショックから目を逸らしているだけなんだ。
だから、それ相応の強いものを何も感じる事が出来ないのだ。
そんな今現在の自分には、
「嘆き悲しんでも甲斐がない」と言えるほどまで悔やみ切る事が出来ていない。そこまで思い入れる事が出来ないでいる今現在の自分には、それらの許されざるものを否定する権利は無いのかもしれない。
許せないものを否定する事が許されないなんてとんでもない。
俺はそれらを否定する権利が欲しい。というか、それは持ってなくてはいけないものだ。
だから、俺は絶望に対する強いショックが欲しいのだ。
苦しんでも苦しんでも苦しみ足りないぐらいのショックを。
苦しみの元となる、耐えられないような現実はすでに腐るほど目の当たりにしてきたはずだ。
なのに、俺はそれ相応のものを感じる事が出来ていない。
否定して否定して否定し続けていく為には、俺はそれらの持つ最低さ、陰惨さを嫌という程自覚していなくてはならないのだ。
死ぬほど否定されても足りない事だぞ。
なのに、今の自分は感じてない。そんな状況に納得なんていくはずない。
そんな事を考えていた。
また別の事。
自分はこの長い大学生活を、実質1年半ほどしか送っていない。
絶対に耐えられないような、絶望的なショックを受けた時期というのが、入学1年半目くらいになった頃だ。
それ以降は、何もやる気がなくなって。
むしろ、身の回りの生活に意識を向けてしまうという事が、とても申し訳のない事に感じられてしまったり。
どちらにしろ、年端もいかないような子達が犠牲にされて、ショックを受けて、こんな状態で自分自身の生活を実感していくという事は、とても不謹慎な事なのだ、と。
何というか、「日常を味わってはいけない」みたいな意識が強かった。
だんだんと、ショックを感じられなくなっていった後も、変わらず「何も味わう事は許されないのだ」と、勉強をしたり日常生活に関わるものに意識を傾けてしまう事を禁じているような部分が多々あった。
そうして、残りの2年半の大学生活も潰してしまい、申し訳を立てようという気持ちもあったと思う。「それでも全然まだ足りない」「何を以ってしても絶対足りない」「そういう子以外の人間の人生が、何人分潰されたとしても絶対足りない」「こうなっている以上は潰さなければならない」「そういう子以上の存在は存在しない。その存在が犠牲になった。それなのに」と。
麻痺する以前に強く感じたその価値観を、貫き通さない事には、自分の人生全てに意味を持たせられない。むしろ、そうできない以上は絶対に意味を持たせたくない。どっちにしろ、自分にとってはそういう子の存在のみが希望であった。だから、こうなっている現実がある以上は。とか。
そうやって、自分は時間を潰し続けてきたんだな、と。
もう、どうにもできない。
「今から生活を取り戻そう」なんて気にもなれない。
あの時点で希望も全部潰れてしまった。あの時点でしか持ち得なかった希望が、だ。今更希望なんて取り戻せない。
同じ類の希望を新たに得る事が出来たところで、今の自分はそれらを喜びに感じる事なんて無理なのだ。
また、得られないままなら得られないままでも、「どうせ自分にはもう希望は残ってない」なんて、納得も何も持ち得ないままダラダラ廃人みたいに生きてくだけだ。
強い希望の要素と、自分自身の実感が揃って始めて生きがいだ。
どっちが欠けても意味が無い。
両方グチャグチャ。
一度張り詰め続けていた意識が途切れてしまった以上、実感の方はもう二度と戻せない。これから先の人生だって、これまでの2年半と変わらない。
要するに、全部糞。
そんな事も考えていた。
長文になりそうな思考を文章にまとめようと思うと、「邪魔される邪魔される邪魔されるに決まってる!」というプレッシャーが凄くて、何だかグダグダになってしまって支離滅裂な文章になってそうだが・・
とりあえず、3時限目の授業を受けている間、そんな事を考えていた。
4時限目は「美学美術史演習」
他の生徒の論文発表を聴いていた。
自分も、数ヵ月後には同じように発表しなければならないのだ。
絶対無理だな。この授業の単位は諦めるしかなさそうだ。
5時限目は「フランス語」
5時限目も終わり、学校を後にした。
地元に到着し、地元の本屋で「彼岸島」の11巻と12巻を買った。
その後、地元のモスバーガーで「匠十段」とうい1000円のハンバーガーを食べた。今日貯金を確認した時、サイト報酬が入っていたから、買ってみる事にしたのだ。
美味しいは美味しいんだろうけど、とても食べにくかった。
食べ終わって、店内で「彼岸島」を読んでいると、俺の隣に座って新聞を広げていた中年親父がいきなり一人でブツブツ喋り出す。
それまでずっと無言だった癖に。
一人の癖に、誰かに話しかけているみたいな感じで「読心術」がどうたらとか、「私は15年前から」とか訳の分からない事を一人で話す。
俺がそのオッサンの方を見ると、向こうもこっちを振り返る。
俺が目を逸らして漫画の続きを読み始めると、そのオッサンはまた一人でブツブツ繰り返す。
俺がそいつを見ると、そいつも見てくる。
ウザかったので、漫画を読むのを中断して店を出た。
あれも統合失調症なんだろうな。
でも、メッセの子は幻聴に話しかけたりするような事はしない。

ほんと、色んなものを失ってきたな・・・
失うだけ失って、それでも尚生かされ続ける。
喪失のみの人生だ・・


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リュカ

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