リュカの日記

2005年10月03日(月)

気軽に思い浮かべて、いつでも満たされるようになりたかった。
俺は思い込む力が強いから、そういう目にさえ合われてなかったら、自分の中で言葉や存在を反芻するだけで一生分くらいの喜びに出来る。
でも、この状況でそれさえ自分に許せない。
そういう事になってなくて、気軽に嬉しく思い浮かべたり出来たなら、どんなに良い事だっただろう。

チョコボールがあったので食べようとして、「そういえば、これって金とか銀とかって当たりがあったな」と思った。
何となく当たりが出そうな気がして開封すると、金のエンゼルだった。
中学の時に2度ほど銀を出したけど、金を出したのは初めてだ。
おもちゃのカンヅメは2種類で、昔は「小学生用」と「中学生用」に分かれていた。今は「ピーナッツ」と「いちご」があるらしいのだが、どっちにしようかな。

徹夜明けでそのまま学校に行ってきた。
1時限目から4時限目まである日だったけど、2時限目と3時限目しか受けなかった。学校に居る間中ずっとモヤモヤした感じだった。
どんなに考えたところで、どんなに悔しがったところで、結局自分には拠るものなんて一つも無いんだ・・とか。
自分は何をしてるんだろう、何をしてるんだろう、何をしてるんだろ・・、とか。逃げ場が無い。解決なんてありえない。
人生全部終わってる、救いは無いのだ。
何だか色々プレッシャーがかかって嫌になった。
デスノートで新キャラが出てきた。
27歳という事だけど、生まれが俺と同じ昭和57年だった。
本当なら面白い展開だろうに、そのキャラの名前の読みが俺の知ってる下衆野郎と同じだったので忌々しかった。
3時限目の授業では、教室で映画を一部分放映していた。
「獅子座」というタイトルの古い映画だ。
主人公の中年男の容貌や雰囲気がうちの親父に似ていて嫌悪感を持った。別に顔が似ている、という訳ではないのだが、体質なりその他諸々が。
また、自分が持ってる特長もあり、将来の自分自身を連想させる。
まぁ、その人物が何か悪い事をしでかした訳でなくても、俺にとっての嫌悪の対象だ。
物語の内容は、金持ちの親戚が亡くなり、その遺産が自分に入ってくる事になり、凄く盛り上がるのだが突然遺産が手に入らない事になる。遺産が手に入る事を見越し、友人を集めて盛大なパーティーを開いたのだが、そのために全ての財産を失ってしまう。そして、その主人公の中年男は家も失くしてホームレスとしてパリの街をさまよい続ける。
こんな話だ。
腹を空かせて、道行く人々が食べているお菓子やらご飯やらを物欲しそうに横目で眺める。
その様子を見ていて、「食べたいんかい」「気色悪いな死ねよ」とか、そんな事が頭に浮かぶ。昼間に街中を汗をダラダラ流しながら辛そうにさまよっている様子を見ながら、「うちの親父が人生の絶望の淵に立たされてるんだな」「苦しいのか?」「いいザマだ」とか、そんな言葉が自然に浮かぶ。
夜中の場面でその主人公がさまよいながら、「この街は汚い」「なんて汚いんだ」と呟いていて、「汚ねぇてめえがよく言えるよな」とか。(もっとも、俺自身そういう都会とか夜の街とか憎んでるけど)
別に浮かべようとして浮かべている訳じゃなく、何故だか子供の頃から映画等を観ていると、そういう事は多かった。特に意味はない。
最近はあまりこういうの無かったような気がするけど。
子供の頃から人間、特に中年とか大人がこれといった理由もなく嫌いだったから自然に、みたいな感じだろうか。
というか、人間全般をどこか気色悪いものに感じる意識が強かったのか。
昔は、悪い事もしていない人に対し、こうやってあまりにけなし文句が浮かんでくると「可哀想だな」「何で、俺こんな事思ってるんだろう」「申し訳ないな」みたいな気持ちになる事もあったと思う。
というか、自分で過剰にけなしておいて、その後申し訳なくなる感覚が好きだったのかな。好きというより、心に来る感覚なので中毒性があったのか。
今日そんな風な言葉が浮かんできたのも、その延長みたいな感じだろうか。でも、今は少し条件が違う。
ただ嫌いというだけじゃなく、俺はショタコンを絡め漠然と人間全般を憎んでいる。
昔はそうやって心の中で酷い言葉を浴びせてしまって、その浴びせた相手に同情してしまう事もあったのだが、今はもう「同情した自分が馬鹿だった」だ。そういう大人や中年が、俺にとって大事に思える対象に何をした。
罵声を浴びせられたら普通に同情されるべきような人間に見えて、そいつらはその子たちに何をした。そう見える(罵声を浴びせられたら同情されても良いような人間に見える)奴らに少しでも情を感じてしまっていた昔の気持ちも全部裏切られたように思う。裏切られたって言っても、俺が勝手にそいつら見下して後から同情したり申し訳なくなったりしてただけだけど。
対象にされるような少年以外の人間で、
どんなにけなされる人間を目にしようが、酷い扱いを受ける人間を目にしようが、俺はもう絶対同情なんてしてやらない。
もう俺は、先入観無しに人間に対し、良いものとして見たり、慈しんだり、同情したり、情け深くなったりとかは出来ないだろうな。
というか、そういう気持ちを持って人を見る事を、自分自身に許していないような状態だ。人間なんて情をかけるに値しない、いくらでも死ねと。
たとえ、何か悪い事をしてない人間(少なくとも俺は、相手が悪事を働く事を知らないとして)に対して罵倒しても、後ろめたくなるどころかむしろ憎み続けてやるのだという意地のようなものもあると思う。
凄く悲しそうな人が居たとする。
それを同情するべきか?
心の優しい少年だったら、安易に同情してしまうのだろう。
でも、その人間の悲しむ理由が凄く自己中心的なものだったらどうだろう。
例えば、「少年を自分の欲の犠牲に出来ない事が悲しい」とか。
どんな理由で苦しんでるかなんて、傍目からは分からない。
ただ、辛そうだから助けてあげたい、になるのだろうか。
腐った理由で苦しんだり悲しんだりしてる奴なんて腐るほど居るだろうに。
そういう少年がそういう奴をいたわって、腐った奴が調子に乗って付け込んで来ない訳が無いじゃないか、と。
そういう子の純粋な心を逆手に取って。
苦しんでる人間に対し、その状況に無い自分自身が後ろめたくなるのは心優しい少年にとっては共通の心理なのか。アメリカじゃ、辛い目に合った人間に対し「お気の毒」という意味で「アイムソーリー」という言葉を使うくらいだし。
俺は、苦しんでる人間、悲しんでる人間=いたわるべきとは思わない。
徹夜明けで寝てないせいか、文章かなり汚いかもしれない。


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