せっかく映画を観たのだからと、mixiで参加しているFFACコミュの掲示板を見に行った。参加登録はしているけど、ネタバレしそうであまり覗く事をしなかったのだ。 「FFACの公式サイトで、FF7からACまでの物語を描いた小説を掲載している」という情報を得た。公式サイトを見に行った。 映画よりも感動した。 物語に出てくる少年の視点で描かれていて、健気というか何と言うか。 悲しい話なのに「感動した」という風に良いものとして受け取ってしまうのも不謹慎かもしれないけど。創作だしいいか、と。
今日は25日だ。 とうとう夏休みも最後の1日になってしまった。
小学生の頃に見た1つ下の学年も、中学3年の頃に見た1つ下の学年も、受ける印象は変わらなかった。 自分が30、40になってから見る1つ下も同じ風に感じるだろうか。 さすがにそれは無理があるような気がするが。 年下の子が持つ特有の内面性が好きだった。 無邪気というか、自分の年代とは違う精神感覚を持っているように感じたり。年齢差は変わらなくても、歳を取るごとにそういう子の内面性も「あの無邪気さは何だったんだろう」と思えるくらいに変わるのだろうか。 何か、あまり実感が沸かない。 それとも、そこまで内面的な変化が無くても、容姿や声が変わってしまってそれが感じられなくなるだけか。多分、半々くらいで両方だろうな。 あの子に例の話を聞いてから、恋愛のけて普通に関わる事さえどうにもならないものに変わった。 あの子と自然に関わる事もできなくなった後であるにも関わらず、あの子は自分の日記で「(リュカが)好きになった少年が大人になってしまっても、変わらず好きでいられると良いな」と書いていた。 あの子と気まずくなったのも、別に少年の年齢が変化するからとかは関係ないのに。別の理由で絶望的になっていて。 どうにもならない事は解っていたのに、何でそれを望むのだろう。 相手が自分じゃなくても、という意味だろうか。 それとも、どうにもならない事があの子の中では「どうにかなる」と思える類の事だったのか。 それもずっと引っかかってる。
自分の田舎でキョンシーの引率みたいな事をしていた。 別の場面では、まだ子供だった頃の従兄弟2人を連れて雪山のペンション付近で遊ばせていた。 今日は午後16時過ぎに目が覚めた。
せっかくの夏休み最後の日なのに、昨日親父に言われっぱなしになった悔しさが後を引いてる感じで忌々しかった。 メッセの子と会話した。 その子の考え方について指摘して、「そんな風に受け取るなんて酷いです。今日が最後です。もう絶対話しません」と言われた。 それも、後から撤回してくれたけど。 あまり、何かを考える事が出来なかった。 今日はあまり良い一日じゃなかった。
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