しばらく、以前買ったきりになっていた「トニオ、天使の歌声」という小説を読んでいた。 18世紀か19世紀のイタリアの話だ。 主人公の幼年期の部分を読んでいて、叔父、叔母、従兄弟等、親戚たちとの交流の様子などが書かれていた。 血縁関係がなければ、親としてはやはり他人と同じような感覚で接したりしてるんだろうな、と思った。やたら体面を気にしたりする場面が多かった。 主人公は賢くて良い子なので、特に恥になるような事もないのだが。 そこから連想されたのか、自分の幼年期や、それと関わる親戚たちを思い出した。その頃の自分は、他人の目にはどう映っていたのだろう、と。 俺は親戚連中から、あまり良く思われていない。 親戚たちと普通に接しているつもりでも、親戚たちが帰った後で母親によって「あんたの事ボロクソやで」と愚痴られる事が未だにある。 俺は幼少時から、両親から「歪んでいる」と言われてきた。 当然、子供の頃は体面というものを気にする事がないので、親戚連中の前でもありのままの行動を起こす。 そういった時の態度が、他の従兄弟たちと比べてもどこかおかしかったらしい。 母親はかなり陰湿でヒステリーな部分を俺に向けてくる事が多かったのだが、外面は良い。他人には、母親の歪んだ部分は目に見えない。 俺がおかしければおかしいほど、「何でこんな風に育ったのか」という事になってくる。 親戚に限らず、俺が母親に連れられて誰かの家に行った後、 自宅に帰ってくるなり、母親から「もう、恥ずかしいわ!」と何度もビンタを食らわせられる、という事が多かった。 「親の知人に会い、帰った(向こうが帰る、またはうちが帰る)後は殴られる」と、当時の俺の中ではすでにそういうイメージが固まっていた。 そんな事を思い返し、 両親にとって、俺は存在そのものが恥だったのだ。 俺の存在が、両親の恥を周囲に撒き散らす事に繋がっていたんだ、と思うと可笑しくなった。 そう意図した訳ではなかったのだが、両親に疑いの目が向く事で、親の歪みを恥として露呈させてやってたんだ、または復讐欲が満たされた、みたいな感覚になる。 そういった事が愉快に感じられてしまう事が、俺が持つ歪みという事になるのかな。
想ってくれている子が居るのに、未練を完全にどうにもならないモノにするため、とかで結婚に走る。 取り返しのつかない状況を自ら作る。 それが悲しいのに、わざとそうする。 眠りにつこうと横になっているうち、 なんとなくそんな場面が頭に浮かんだ。 さも、自分ならやりかねないなと。 例えば、俺の中に今浮かんだような状況を自ら作り出した人間が居たとして、自分で「ああああああああああああ」となるんだろうな。 でも、後の祭り。 もう取り返しがつかない、自ら全部終わらせた。 それが分かっていて終わらせた。 そこからどんどんお互いの心境など、想像が広がってきて、 勝手に浮かべた妄想なのに、何だか凄く心にクル。 どうしようもない悲しい気分になってきた。 自分が普通に結婚してるのが当たり前の年齢になったら嫌だな、 と、そんな考えからこんな妄想にまで行き着いた。 心底好きになれそうな相手で、機会もあったのに自ら拒絶しなくてはならない悲しさ、に重なるものがあったのだろうか。
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