今日は、午前0時半頃に目が覚めた。 これは欝にならなくてもいい類なのだ、と考えようとしてるけど、昨日耳にした話がキツかったのか、寝起きから落ち着かない気分になる。 ズーンとした感じだ。 ショックを受けなくてもいいのだ、と考えようとしていた分、余計に素の感情が出てきたのかもしれない。 今日はメッセの子の誕生日だ。
何か、全部曖昧になってきて、分からなくなってきた。 何をどう判断していたのか。以前と違って冷めてきたのに、何を考えても痛い気がする。 ショタコン野郎に悪戯された少年が、同じショタコンである自分の事を認めてしまうのが酷いから、もう関わらない方が善いだろう、と判断したのだと思う。 何か無気力だ。 依然少年に対する欲望は沸き続ける。 せめて、どういう判断を下すか、どういう行動を起こさないでおくかを大事にしよう、と考える。 自分の人生が無意味すぎるから、少年の人生が安全なものであればと自己満足しよう、とか考えていた気がする。 安全なのは何よりだけど、そうでない現実があふれ過ぎていて、少年に対してそこまで強く希望を感じる事は無くなった。ただ、「対象なんだ」という感覚よりちょっと強い程度だろうか。 微妙に圧迫されて息苦しい。 後ろめたくならずに済む程度の、程よい沈み気分だろうな。 と、考えてしまうのも不謹慎か。 気分が沈む事を望まなかったから欝は苦しいものだったのに、今は欝でないと後ろめたい、みたいな意識が根付いていて、こういうのは欝になっても本当の苦しみじゃないんだろうな。 どういう風に考えるのが正しいのかが分かっていても、少年への感情が薄れ、その考えに中身が伴わなくなってきてるかもしれない。 それでも、正しい考えは厳守するべき、と考える。 何か、「考える、考える」ばかりで、「感じる」が減ってきてる。 あれだけ激しかったタイプの子への執着心も薄れてきている。 以前は「こんな素晴らしい人種が居るなんて凄い」みたいな感じで、世の中に少し希望があったと思う。 陰鬱だ。 実際外に出て、生でそういう子を見かける機会が出てきたら、また違ってくるのかもしれないな。存在そのものが拠り所だった。 趣旨が矛盾している。 「そんな現実があるのに、喜びにして善い訳がない」というのと、「素晴らしい生き物だと感じた上で、その現実に絶望してなければならない」とか、色々ある。そういう現実が存在している以上、その現実を怨み続けるしかなくなる。
今使っているパソコンを買ってからずっと、「Norton AntiVirus 2002」というウィルスソフトを使い続けてきた。 2003年、2004年になって延長料金を払わなくならなくなっても、何となく2003や2004バージョンに代える事なく、2002バージョンを使い続けてきた。 あと1ヶ月ほどで、このウィルスソフトの使用期限が切れる、というダイアログが出てきた。 サイトに行って延長キーを購読しようとした。 すると、 「 ■2002シリーズをお持ちのお客様へ■ 2002シリーズの更新サービスの延長キーの販売は10月12日を持ちまして終了致しました。 下記の【新たに製品を購入▼】タブをクリックし、最新バージョンのご購入をお勧め致します。 」 との事だった。 もう2002バージョンは使えない。 パソコン修理に出して、リカバリされなかったら、以前の延長キーの残り期限で、もう少し使い続ける事が出来ただろうか。 リカバリで延長キーが無効になってしまったのだ。 リカバリ後は、無料お試し期間、みたいなので使っていた。 ずっと使い続けてきたものが使えなくなってしまう、というのは嫌な気分だ。
何に対してなのか、漠然と沈んだ気分が続いている。 これくらいがちょうどいいのか。
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