リュカの日記

2004年12月27日(月)

そういえば、「自分は昔から人間に対して潔癖症なところが強かったな」的な事を思い出した。
それは今でも続いている。
自分よりは清潔だから、どうこうじゃない。生理的に嫌なのだ。
人間を汚い動物(人間の内面どうこうだけじゃなく)に感じているのは幼い頃から続いている。
幼い頃は、周りから自分を綺麗な生き物みたいに思わされる事が多かったので、その反面か「じゃあ、あんたらは汚いんだな」という意識が根付いてしまったのかもしれない。殆どギャグだな。
あとは、「○○(誰かの名前)菌が移るからタッチ」とかいう遊びもはやっていたので、その影響もあるのだろうか。
家族に対してもそうだし、見ず知らずの他人に対してもそうだ。
あまりに日常化しすぎているので、普段から特にそれを意識しているわけではないのだが。
人が触った物には触りたくない、とか。
ドアの開け閉めをするだけで、すぐに手を洗いに行ったり。
でも、自分自身には感じない。当たり前だ。
自分には常に内部も含め接触している状態なので、自分に対してそれを感じるなら生きていけない。
日に20回は手を洗っていると思う。
多分、俺より何倍も清潔にしているイケメンや美少女等と握手しても、無意識に手をこすったり洗いに行ったりしてしまうだろう。
自分の欲求にしろ、ショタコンになる前の頃を思い浮かべてみると、常に第三者的な感覚で捉えていた部分が強かったと思う。それが「当たり前」になっていた。
人体は汚いから自分で触ろうとは思わないけど、他人に傷つけられているのを観ると興奮する、とか。
女は綺麗だ、という風潮がある。
「綺麗なんだと感じなさい」的な社会的意識のせいか、余計に粗を探したくなっていく。
「女だって便所に行くし、別に綺麗な生き物じゃないだろ」的に、風潮があるせいか余計に汚い生き物に見えたり。
中学時代とかを思い出してみても、周りがいやらしい話をしているところに巻き込まれたりすると「何でそんな女の汚いところを触ったり舐めたりして、さらに汚い事をして、さらにそれを喜んでみせなければならないんだろう」といったストレスを感じていたと思う。
サディスティックなものに興奮を覚えても、いざ自分が触ってそれをしてみなさい、というと話は別になったり。
俺が潔癖を感じるのは、主に人間と蟲だ。
俺が物質として嫌悪を感じないようになった人間は、タイプの少年が初めてだろう。
質から何から、人間とは全く違うものに感じられる事ができた。(それも単なる思い込みのせいだろうが)
だから、タイプの子がタイプの少年意外に汚される、とかいったものに人一倍敏感になったりしていたのには、そういった面も含まれていたのだと思う。少年だと「綺麗だと思いなさい」的な風潮もなく、さらに健気なので、余計に綺麗に思えたり。
男の中年が一番汚い物質に感じる。
俺はタイプの少年が汚される事が何より嫌だ。
特に、自分にとっての一番綺麗な存在が、自分にとっての一番汚い物質に汚されるのが耐えられなかった。
少し自己分析をしてみた。
最近は、少年を物質的に綺麗なものに感じる事が出来ているのかどうか、少しあやふやになってきている部分もあるが。

どうにもならない事が前提になっているのに、それをどうにかしたいと考え出して行くと、底が見えなくてどんどんキツくなっていく。
どこまで考えていっても、その事実は変えられず、その変えられないものを変えたくてまた色々と考え始める。
絶対に「そんな目に合ってなかった」じゃないと気が済まないのに、それでも実際にはそういう事になっていて、、と、嫌になってくる。
今日は、普段意識しないような自分の内面を突き詰めて、それに対するストレスも強い。
今まで、無理に自分を単純化しようとし過ぎていた部分もあったかもしれない。
1つの要素や理由からじゃなく、いくつもの要素で共通して追求する物事を、自分の1つの意思の方向性としていた、が正確だ。
少年が汚されるのが嫌な理由も腐るほどあって、全部言葉で表しきれないし、自己矛盾も多い。
どの部分に意識を当てるか、でその時その時の優先事項が変わって行ったりするのだろう。それに反する意識があっても、優先意思より弱いから引きずって見ないようにする、とか。
手相占いとかはよく分からないが、俺の感情線はかなり複雑にゴチャゴチャしていると言われた事もあった。やっぱり手相に出るのだろうか。
以前と比べると、だいぶ感情線も単純化されてきたように見えるけど、それも自己矛盾が出ないように意識あれこれを統一化しようと務めた影響なのだろうか。
今日も色々と考えた事を吐き出してみた。

2時間ほど仮眠して、午前7時頃に目が覚めた。
今日は午前中に明石という場所まで免許の更新に行かなければならないので、そのまま8時頃までは眠るつもりであった。
ショタコンスレ』が、また少し動き出した。
少年に悪戯する事肯定してて、さらに少年に悪戯した奴に賛同してるショタコン野郎が、俺に対して「クリスマスに良いことがあって、優しい気持ちになれました〜、だからあなたの言葉にも不快感を覚えません^^」みたいな、いかにも善人ぶった言葉を吐いているのに胸糞が悪くなってきた。
少年を犠牲にする上での奴が、こういったイベントにかこつけて善人ぶっているんだと思うとキレそうになる。『ここから
こういう言葉を吐いて、周りから良い奴みたいに思われる人間の裏には、実は少年を犠牲にしてきたような奴らも含まれるんだろうな、と思うと、どんな言葉を吐く人間だろうが一概に「良い人」なんて思ってはいけないんだ、と思える。こいつらは、自分が腐った人間であるにもかかわらず、こういう言葉を吐く自分自身に酔って、本当は腐ったショタコンでしかないはずなのに、優しい気持ちになった自分を「良い人」みたいに感じているのが凄く伝わってくる。許せない。
言ってる本人は、その自分自身の優しい気持ちとやらを「善いもの」に思い込んでいる事が、俺から見ても分かる。
同時に、俺はこいつが少年を悪戯する事を肯定している奴なんだ、という事も知っている。だから、こいつの言う「優しい気持ちになった」とかが許せない。
自分の思った事を言葉に表すのが難しい・・
こいつの何がどう許せないのか、とか自分で分かっているのに、それを上手く表現できなくてもどかしい。
少年が犠牲になる事肯定した上での「優しい気持ち」なんて絶対にありえない。でも、世間はこいつの言う「優しい気持ち」とかそういったものを「善きもの」みたいにして敬ったり尊重したりするんだろうな。
あああああああああああああああああああ、もどかしい。
漫画とかを引用して例えるなら、「莫逆家族」という漫画で、散々悪行をし尽くした五十嵐という男がいる。
悪行に悪行を重ね、その結果入院する事になった五十嵐。
その五十嵐に医者が言う。
「こーして見ると、そんなヒドイ悪党には見えないんですがねぇ・・
もしかすると、ひと山越えて邪気が晴れたのかもしれないけど・・
そんな全ての迷いや欲望が浄化されたような
清清しい顔を、私は今まで見た事がないよ」と言った。
それに近いものが、こいつの言う「優しい気持ち」とやらから感じられた。
もう一つ例えるなら、ふんぞり返った権力者が、未成年の少年に対して性的搾取をやり尽くす。
臨終間際に「自分は、今までにこの権力を使い、欲という欲を見たし尽くした。もう思い遺す事はないよ」と、とても清清しい顔で息を引き取る。
それと同じものが、こいつに感じられた。
そんなの絶対認めない。最低な事を肯定したりする奴が持つ清清しさなんてのは糞だ。最低のものだ。
「糞の癖にいい気になって、悟った気になってんじゃねーよ」という気分だろうか。
最低な事をしてきた上での救いや祝福を、俺は認めたくない。
一般的に、そういう最低な上での〜でさえ、世間はそれを善いモノとして捉えようとする風潮がある。許せない。
何か、自分でも説明し辛い。

更新に行く前に、1週間ぶりくらいにヒゲを剃った。
伸びきっていたせいか剃り終わるまでに時間がかかり、こんな風にヒゲを剃っている自分はもうオッサンなんだろうな、とか思った。
少年に悪戯しているようなショタコン親父も、こうやって朝になるとヒゲ剃りしたりしてるんだろうな、と関連付けて浮かんできて、かなり自分で嫌になってきた。
明石じゃなく、伊丹という場所の方が近いらしいので、そっちに行く事にした。
3年ぶりだ。「確かに俺はここに来た事がある」と、ちゃんと風景も覚えていた。凄い人ゴミだった。
関係ない話、今「ひとごみ」を変換してみて気づいたのだが、「人が込む」と書いて「ひとごみ」が正解のようだ。
今までずっと、「人がゴミ」で人ゴミだと思っていた。
自分的に人ゴミの方がしっくり来るので、こっちを使う事にする。
3年といえば、俺はもうまるっきり3年間バイトというものをした事がない。
更新のため列に並んでいると、右アゴがキリキリしだした。
次に胃に来た。キリキリ痛む。息苦しくて、内臓を内側からこすっているような感覚だ。
対人恐怖症かな、と思ったけど、対人恐怖症はわずかな面識のある人間にしか発生しない症例らしい。俺自身も、別に震えが着たりしたわけじゃないので、たんに人ゴミに囲まれた状況が無意識レベルで嫌だったんだろうな、と解釈した。
俺が最初に免許を取ったのは明石だ。3年後の更新は伊丹だ。
で、さらに3年後である今回も伊丹だ。並びながら「じゃあ、次にもし明石で更新するとしても、明石の講習所に訪れるのは免許を取ってから9年ぶりという事になるのかな」とか考えていた。
俺の前に並んでいる男が、長身でかなりいかつい感じだった。
そこから少し連想した。
もし、こいつが俺の目の前でタイプの子を襲おうとしたら、俺はこいつを抑える事ができるかな、とか。
なりふりかまわず死ぬ気でいけば勝てるかなとか、肉でもなんでも噛み千切ってやったら、こいつも俺の耳を削ぎ落とすくらいの事はしてくるのかなとか、こいつを殺す事とタイプの少年が触られる事を比べるなら考えるまでもないだろうとか、痛みで意思が揺らいだりしないかなとか。
仮に防げたとしても、そんなタイプの少年を狙った奴を目の当たりにして、それだけで済ましてしまうのも許せないとか、済ませていいわけがないんだ、とか
威圧感をモロに受けながらそんな事を考えていた。実際そういう状況になった時、少年優先で考えられなければ、今まで考えたり感じたりしてきた事が全部偽になってしまような気がする。文字通り、指一本触れさせないようにしないと、俺の中でその少年が「善いもの」に感じられなくなってしまうんだろうな、というのは分かる。
キリキリは続いた。
オッサンを見ると、全部ショタコン親父に見えてくる。
こいつは卑しい奴だろうな、とか。
例えば、30前後のオッサンを見かけたとする。
俺はそいつの皮膚の汚さを直に目の当たりにするわけだ。
同時に、それは俺にとってのタイプの少年を汚した奴らと同じ皮膚だ。
俺が見かけるオッサンがショタコンじゃないにしろ、その肉の汚さの質は、タイプの子を悪戯したオッサンと同じものだ。
「この汚い皮膚を持った生き物が、あんなに綺麗な少年を汚したんだ・・」と、直に連想されてしまう。
証明写真を撮る時の、係のオッサンの横柄な態度にムカついた。
その後講習を受けなければならないのだが、ただ30分間の間にビデオを観せられて、さらにちょっとした説明を受けるだけの簡単なものだった。
しかも、ビデオが上映される部屋に俺は途中から入れられた。
国が管理している仕事がこんなにアバウトでいいのだろうか、と少し思った。
それから、免許証を発行された。
俺は殆どペーパードライバーみたいな感じで、免許証の色が金だった。
初めて免許を取った時が黄緑、次が水色、で、今回が金色だ。更新するたびに色が変わる。でも、次回の変色はないだろう。
個人的には黄緑の時が一番気に入っていた。
さっきまで持っていた水色の免許の証明写真は、頬がコケているのが分かるくらいゲッソリした感じだったのに、今回出来た金の免許の証明写真は、ずいぶんふっくらした顔になっていた。
次の免許の更新は5年後だそうだ。
もし、次の更新に明石を訪れるとしたら、免許を取ってから11年ぶり、という事になるのだろう。何か凄いな。
親から金をもらっていたので、帰りにマクドで昼食を済ませた。
バリューセットの割引券があったので、チキンフィッシュ〜バーガーセットと、ビッグマックを食べて帰った。
現在午後13時半前。とても眠い。


 < 過去  INDEX  未来 >


リュカ

My追加