リュカの日記

2004年10月05日(火)

ハンター×ハンターで「一番恐れるのは この怒りがやがて風化してしまわないか ということだ」や「それはまだ 私の中で怒りが失われていないという意味では むしろ喜ぶべきかな」という台詞がある。
一番ではないけど、何だか共感する。

今日は午前9時半頃に目が覚めた。
寝起きから少し憂鬱だが、やっぱり中途半端な感じだ。
一番大きくて気にしないといけない事が、そういう少年がどういう目に合わされたか合わされないかなのに、それに対する中途半端さの方が引っかかってる気がする。嫌になる。
どうしたら自分で納得できるだろうとか、どうすればいいんだろうと考える。
あれだけ苦しい事だったのに、何でこんな中途半端なんだろう。
少なくとも俺にとっては凄く大きな事だった。
それなのに、自然に苦しみが沸いてこなくなったのが嫌だから、無理に苦しもうとしたりもしてしまう。
戻ったら戻ったで、少年がそういう目に合わされている以上世の中に救いはないのに、凄く大きな存在だった少年への感覚を手放したくなくて躍起になっている。
俺にとっては、一度は絶対的とまで思えていた相手に対して、軽くなったりいい加減になったりするのは、あってはならない事なんだ、と強く思う。
他の事なら割り切れる。
でも、少年は別だ。

今日の授業は午後からだった。
火曜の授業は、まだ普通に受けられる。
出席も取るしノートも写す。
家に帰ってから「壬生義士」という新撰組の映画を観た。
2003年の映画だ。
大河ドラマ「新撰組!」の芹沢鴨役の俳優が斎藤一を、山南敬助役の俳優が沖田総司を演じていた。
映画やドラマで、彼女やヒロインを少年に重ねてしまうのも軽く見えてしまう原因だ。女なんてどうでもいい。
少年は少年としてみないとな。
女が演じる健気さも、少年とは違って見せ掛けだけの作り物だ。
好きなのは少年なのに、その度合いがどんどん薄れていってしまう。

弟に好きな曲の再生リストを作る方法を教えてもらって、昨日からまたパソコンで音楽を聴くようになった。
ガーネットクロウの「夏の幻」を聴いていると、好きだった後輩を思い出す。
中学の時は同時に2人の後輩が好きだった。
部活の方の後輩は清原君という。
2人とも原がつくし、2人とも巨人に関連した苗字だ。偶然だけど。
凄く可愛かったなと、その魅力が蘇ってきて、同時に憂鬱な気分になった。
今現在、もしその後輩と関われるようになったとしても、やっぱり凄く嬉しいだろうな。その子の可愛い姿を知ってるからだ。
13.4歳の姿しか知らないけど、同一人物だから感情は持てると思う。
顔も可愛いし、背が低いのも可愛いし、年下なのも可愛いしで、凄く魅力的だった。
殆ど喋る事もなかったせいか、あの子はどんな言葉を使うのだろうと、何かを語る事でさえ凄い事に思えてしまう。
悪戯もされてなければ、誰ともそういう関係になってない、だったらいいんだけどな。
ふと、自分もその子達と同じ人種だったらな、と思った。
凄く綺麗な人種だし、少年と関わる事を自分で歯止めする必要もなくなる。
汚す事にもならない。


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リュカ

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