Dozy days

2003年04月10日(木)

わたしの友達づきあいというのは実にさっぱりしたもので、3年間全寮制の女子校で過ごしてさらにその傾向が強くなった。いつも一緒にいるからねぇ、と思っていたら、外に御飯を食べに行ったり、何かをしたりする友達がいなくなった。食堂に行くのもひとり。お弁当食べるのもひとり。でもまあ、平気。疎外されているわけではなく、なんとなくひとりになる。それでも、(不本意だが)「おもしろい人」として不動の地位を築いてしまったために、なにかというとみんな声をかけてくれる。用事があってみんなの前に立って何かする時でも、話を聞いてくれているなぁ、という確信があったので特に嫌われているわけでもないだろう、と安心していた。

なーんとなくひとり。そういうのは居心地が良い。でも、女の子同士で仲良く雑誌を見たり、旅行に行く約束をしたり、そういうのを羨ましいと思う。「特定の友達にしか出来ない話」がある人を羨ましいと思う。わたしにとって女の子の世界は、近くて遠い。

わたしがかつて凄く好きだった男の人が居るが、わたしが男に生まれたらどんなに良かっただろう、と今でも思う。彼の話が好きだった。彼と遊びに行くのが楽しくて仕方なかった。自分が中途半端に女子だから、変な欲が出た。欲しかったけど、結局は失うことになってしまった。さっぱりと、友達のようにつき合うことが出来ていればなぁ、と思うけれども失くしてしまったんだから仕方ない。そして女子の友達もいなかったものだから、実生活ではほんとにひとり、みたいな気分だった。いや、声をかけて心配してくれる同級生は居たのだが。オンラインには優しくしてくださる女性が居たのだが。ほんとうの事を、誰にも言えなかった。

わたしは「ひとりはすき」と言いながら、ほんとうは淋しいのだろう。わたしが悲しいと思うこと、面白いと思うことがすんなり伝わる相手が欲しいのだろう。今日までにわたしを好きになってくれた男の子が数人だが居る。今彼等と一緒にいないのは、わたしが欲しているものが重すぎた、というのが原因にあるはずだ。全てに共感して欲しい、なんて無理に決まってる。でもわたしは欲しがった。

今の連れの人は、わたしのそういう希望を聞き流す。少しでも受け止めてもらえたらわたしは勘違いをするので、重さを感じるまでもなく手放すあの人の方法は合っているのかもしれない。淋しさも、放っておけば気化するし。それでも女々しく連れの人に色々聞く。わたしがどんな存在なのか、なんで一緒に居てくれてるのか聞きまくる。あんまり同じことを何度も聞くので、最近疲れてきているようだ。でも、疲れてもあきれても、あの人はいつも同じ調子でわたしの電話をとる。感情の起伏が感じられない。ありがたいというか。何というか。

最近「連れの人は好きにやっているのだなぁ」とよく思う。女々しいわたしを軽くいなして、好きに生きている。そんなあの人に負担をかけたくないと思ったが、どうして女々しくなってしまうのか、とかどうしてあの人にいろんなこと聞きたくなってしまうのか、が解らないといつまでも重いだろうなぁ。と思ったので長々と書いてみた。とりあえず、あの人にあんまり多くを求めては駄目だと言うこと、わたしは淋しさをひとにぶつけては駄目だと言うことはわかった。もう考えるのも大変面倒になってきたので、とりあえず、わたしは連れの人に惚れているので黙ってついて行ってみようと思う。あの人が好きにやってるならわたしも好きにやれば良いわ。

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言葉を簡潔にまとめられずに冗長になってしまうのもわたしの悪い特徴ね。

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あ、そういえば好きなサイトの管理人は男性が多い。欠かさず見るサイトって、ほとんど男性のサイトだ。最近は「これじゃいかん」と思って女性のつくったサイトも見ている。でもやっぱり、20代の女の人が作ったサイトには独特の雰囲気があって、なーんとなく苦手。アンテナに捕捉したのは、その中にあって好きだと思えるもの。基準はなんだ。カンか。

日記記録、未来。他 日々のインプット等。