風太郎ワールド


2003年03月16日(日) W教授

昨日、留学先のB教授の話をしたが、同じ大学で授業を受けた教授にもうひとり、W教授がいた。

博識と頭の良さは比べる人もなく、他の教授も研究者も、困った問題があれば、W教授のところに相談に行った。

好奇心の赴くままに、いろんな問題を研究していた。誰かが、新しいアイデアを思いついても、既にW教授が昔同じことを考えて、ペーパーに書いていたということがしばしば。そういう、発表されなかったペーパーが山ほど、研究室の引き出しに詰まっていた。

もし、ひとつの分野に集中して研究していれば、ノーベル賞を取っていただろうというのが、周りの人のW教授評だった。

彼はマンハッタン計画に参加してオッペンハイマーの下で働いたが、その後マッカーシーの赤狩りで大学を追われ、民間に下った。8年後、別の大学で教授として復活。その独特のキャラクターが、物理学科で名物のひとつだった。

さて、そのW教授から、私は量子論入門のクラスを取った。ところが、これがまったくついて行けない。

とにかく、学生の程度、クラスの想定レベルをまったく無視して、いきなり先端の内容なんかをしゃべりだす。ノートも本も見ないで、黒板の端から端まで、数式に次ぐ数式を書き連ねる。覚えていない時は、一からすべて導き出す。書いたり消したり、考え込んだり。どこにこれだけの知識が詰まっているのか?

たまに、恐れを知らない学生が手を上げると、"How dare you!"とかなんとか大きな声で怒鳴られる。質問もオチオチ出来ない。彼の講義は、現代物理の歩みを生き生きと伝えていたが、学生がいてもいなくても関係なかったのかもしれない。

私は、その学期たくさんの単位を取っていて、平均3時間しか寝る時間がないような忙しさだった。いくら聞いても分からない彼の授業に、そのうち我慢できなくなった。

ドロップしようと決心したのだが、それは必修科目。取らないと卒業できない。学科の主任教授が心配して、裏でW教授に画策したのかもしれない。私を呼び出して、W教授と話をしろという。

私は恐る恐る、W教授のオフィスのドアを叩いた。

迎え入れてくれたW教授には、いつものピリピリした雰囲気がない。しばらく沈黙が続いた後、フーッとひとつ息を吐いて、彼は口を開いた。

「私の授業が難しいというのは、私にも分かっている」
「‥‥‥」

「私は、君達に全部理解してもらおうとは、期待していないのだ」
「‥‥‥」

「私が望むのは、新しい物理が生み出された時の、感動、興奮。それを感じて欲しいだけなのだ」
「‥‥‥」

「今は分からなくても、私の話を聞いているうちに、何かが掴めてくる。それで十分だ」

彼は、私の方を見ないで、ゆっくりと窓際へ歩いて行った。枯葉が舞い始めたキャンパスの景色を、遠い昔を思い出すように眺めた。

「その昔、私にも、挫折に打ちのめされた時があった‥‥」

彼は、意外な話をはじめた。

City College of New Yorkで物理を勉強していた頃のW教授は、誰もが認める天才。神童の名を欲しいままにした。頭の回転の速さで人に負けたことがない。

そんなある日、図書館で難解な物理の本を手に取ろうとすると、同時に同じ本に手を伸ばした若者がいた。そこで、一緒に読もうということになり、席を並べて座る。

一ページ、読み終わったらページをめくる。また、一ページ。

読み進むうちにペースが上がる。そのうち、なんと、驚いたことに、W教授が読み終わらないうちに、もうひとりの男がページをめくろうとするではないか!

ショックだった。今までに味わったことのない挫折だった。



↑クリックするとメッセージが変わります(ランキング投票ボタン)その若い男。後に朝永振一郎、リチャード・ファインマンとともにノーベル賞を受賞した、若き日のジュリアン・シュウィンガーだった。

そういう話をしながら、ちょっと寂しげな表情を浮かべたW教授が、私にはとても人間らしく見えた。

私は、最後までW教授の授業を受けた。ほとんど何も分からないままに、無我夢中で勉強した。持ち帰りの最終試験は、提出期限を1週間延長してもらい、学期が終わって、ガランと誰もいない図書館にこもって、何とか仕上げて提出。そのクラスでたったひとつのAをもらった。

その、W教授。彼も、昨年の10月に亡くなっていた。

彼の授業が、無性に懐かしい。合掌。


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