ぼんのう
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熊本で一家6人無理心中。 この中で小学生の男の子が、前日に熊本のニュース番組で家族に感謝する作文を朗読していたことが判明。 ニュースでその朗読を聞く。
やなニュースだ。 貧しさでの心中がイヤなニュースではない。 我輩はどうしたって、この“心中”という言葉が許せない。
とりわけ親が、 『遺された子供がかわいそうなので…』ということで 無理心中するというケース。 心中という言葉を使うのは止せ。これは 殺人なんだぞ!
十数年前、アメリカに駐在していた一家があって、そこの奥さんがヒステリーに陥って、無理心中しようと子供二人を殺して、自殺を図ったが死にきれず、その奥さんは第一級殺人罪に問われる事件があった。 日本のニュースでは心中として報道されたが、当地では殺人として報道された。
日本の文化かもしれないが、我輩はこの無理心中という言葉に、親の身勝手極まりない行動に、悪魔的な感情があるのではないかと感じることがある。 『遺された子供』というが、単にてめえらだけ死ぬのが怖いだけなので、一人でも多くの道連れをという感情があるような気がしてならない。 というか、親は子供の命を奪う一切権利はない。
このニュース報道で、取材に行っていたキャスターが、法廷に入る被告となった奥さんに対して、
「がんばってください」
…と声をかけたシーンに、怒りを通り越して、呆れた。
日本人の代表としての言葉だったのか? 心中という言葉に対しての、一般的な考えを表しての掛け声だったのか? いいかげんにしろ。
しかし差別用語がどーのこーのと、ビクビクしている態度が許せないな。 ゲームを作っていても、時々クレームがある。 会社の立場から致し方が無いかもしれないが、個人としての我輩の感情を言うならば、そーゆー差別用語を『作り出している』心根こそ、差別したがっている感情の表れではないかと思うぞ。
あーあと。 暴走族という名称を止めて、珍走団と言いなさい。 援助交際という名称は止めて、物欲のための売春と言い換えなさい。
こーゆー表現のボーダーって、なんだろな? 意外と他にすることがないので、クレームを言うことに心血を注ぎ、真面目に仕事をしている人の邪魔になりやすいのか、なりにくいのか…で、ボーダーが決まっていたりしてな。
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