tdd diary

2008年12月11日(木) judge not, if you're not ready for judgement

先日ichatで話題にしていた裁判員制度についての話ですが、なんとなく自分はそう遠くなく当たってしまいそうな気がしていて。でもなるべくなら当たりたくないと正直思っていたりもします。今年観た「ぐるりのこと」って映画がありましたけど、刑事裁判を自ら希望しない人間が傍聴しないといけないというのは、人によっては、というか事件が深刻であればあるほど誰にとっても精神的な負担が大きいんじゃないかと思います。でもって裁判員制度の対象は重大な犯罪事件なわけです。

秋葉原の事件や、元次官の襲撃事件、ここ何日かで東金市の事件の容疑者が逮捕されたことなどでも考えずにいられませんが、テレビのニュースなどで見る事件の概要と、裁判で被告人が自ら語る事件はまったく重みがべつのものであるはずで、聞きたくなければ聞かなくてもいい話であっても、裁判員に選ばれた人間は否が応でも向き合わないといけない部分があります。被告人の証言だけでなく、例えば光市の母子殺害事件の弁護士に象徴されるような死刑廃止論を主張する人のまったく無茶にしか聞こえない弁護や、ほかにも「12人の優しい日本人」じゃないですけど、自分と同じ裁判員として選ばれた6人または4人の人間の考え方にも向き合わないといけないわけです。人の悪意や業のようなものに向き合うというのは、自分の人生における経験としてでならまだしも、裁判員制度でというのはどうかと思う点も多く、二十歳そこそこの若い人も対象だと思うと、守秘義務があってまわりには話せなかったりもあるしで参ってしまう人も必ず出てくるような気がします。参った人にはセラピスト、みたいな単純な話で済ますにはまだまだ前例のないことだらけでとても不安な気もします。

私は死刑存廃問題についてどちらとも言えないものがあり、日本が先進国で唯一死刑執行数が増えていることをヨーロッパから非難されているにしても、光市母子殺害事件で本村さんの話していたことを思い出す時、死刑を廃止すべきだとは思えない自分がいます。とはいえ、もし自分が裁判員に選ばれた時に、どんなに重大な事件の被告人であろうと、自分の関わりのもとで人が死刑になった場合、いつまでもあれで良かったのかというような思いは残ると思います。松本サリン事件も記憶に残っている世代としては、冤罪がまだまだなくならないシステムのままであることも考えずにいられないし、複雑に揺らいだ状態の中、人が人を裁くということだけでも精神的にキツい人もいるわけで、ランダムに選べるようなことだろうかと考えてしまいます。裁判員制度が始まれば、日本人は人任せにせず主体的に物事を判断するようになるからいいことだ、みたいなことを偉そうにテレビで言っている人がいましたが、人の主体的な判断がいったいどれくらい確かなものだというのだろうか。


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hatori [mail]