tdd diary

2006年03月03日(金) 「anything else」

ビシッと一瞬だけ。一瞬だけ電気がビシッと流れただけだ。それだけのことなのに、その瞬間から、ここまでの歴史と物語は一旦すべてが完結する。ついさっきまで自分が馬鹿にしていたり毛嫌いしていた物事なんか、ぜーんぶがどうでもいい事となってしまい、自分がそれまで大切にしてきたほとんどのルールは崩壊する。その人の言うこと全部を少しも疑問に思うことなく肯定してしまえる、恐ろしく大きな心持ちが、全く揺らぐ気配すらない。「アリ」か「ナシ」かではなく、誰が何と言おうと全部が絶対に「アリ」なのだ。ルールはみーんな崩壊したはずなのに、それでも僅かに記憶の片隅にしまい込んでいる自分の好みと一致するようなことを言われようものなら、3オクターブくらい高い声で「自分も前からそう思ってた!」と叫んでいる。何か目に入っても、これはあの人の好みだとか好みじゃないかもとかで真剣に考え込み、頭にくることや嬉しいことがあればどんなに下らないことも全部話してどう思うかを聞いてみたい。それまでの自分を知る友人に冷ややかな視線で見られていることを自覚していないわけでもない。でも仕方ないのだ。電気が走ってバカになってしまったんだから。終わったあとには全てが自虐を込めたジョークにしかならないとしても、それもそれでいいんじゃないか。それ即ち、恋である。

1977年のニューヨーク、アニー・ホールという女性に出会って電気が走った1人の男がいた。28年前だけでなくこの世の常で、始まってしまったが最後どんなに悲しくても永遠に続くものなどない。始まって終わり、忘れられない切ない思い出がいくつも残る。すこし後悔したりもして、ほろ苦い表情を浮かべる男であった。時を同じくして1977年の東京足立区で私は生まれ、信じられないことに今年29歳なんて年齢になろうとしている。ある日、ニューヨークで暮らす若者が電気が走ってバカになる映画を観る。そこに28年前、ほろ苦い表情を浮かべていた男がまた現れ、若者にあーでもないこーでもないと最高にウィットに富んだいい加減な助言をいっぱいしてくれる。どうしても忘れられない、諦められない、辛い、苦しい、どうすればいい?ともがく若者に、ほろ苦男はそれでもあの時とあまり変わらない目をして、「でもそれが人生ってものだろう?」と言うのだった。



主役のジェイソン・ビッグスの黒目が大きくてうちのノンちゃんみたいでした。クリスティーナ・リッチも目がエロくて良かったなあ。ニューヨークでのウディ・アレンはこれで見納め。街の中や公園、どこを歩いてるシーンも、本当に素晴らしい美しさ。


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hatori [mail]