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連日のワイドショー的な過熱報道にはいささか辟易するが、生まれ故郷に滞在中の一時帰国者の様子はついつい涙しながら見入ってしまう。帰国したばかりの時は固い表情で日本語もあまり使い慣れていないような雰囲気だった彼らが、ふるさとの土を踏んだとたんに、お国訛りですらすらと話し始めたのには感嘆した。すでにあの北の国にいた時の方が長くなっていても、そこで成長した「ふるさとの力」を感じる。懐かしい友達や親戚と語り合う嬉しそうな表情、そして現在の複雑な状況への詰まりがちな言及の様子を見るにつけ、まったくあの北の国はなんてことをしてくれたんだ、という怒りがこみ上げてくる。 よく訓練された工作員が危険を冒して日本の領域に立ち入り、何も知らない一般市民を無理やり連れて帰り洗脳する。これらの行動が結局あの北の国の繁栄なり発展に結びついたことがあったのだろうか?食糧危機を訴え、武力を手放さず、今にいたるまで国際社会の鬼っ子である。まったく無駄な労力を費やして、悲劇を作り出したとしかいいようがない。 家族を引き裂き、悲しみの底に突き落とし、果ては二度と会えないあの世とこの世と断絶させた罪は許しがたい。この後に及んで自国の不利益を免れるために懐柔策を小出しにする姿勢には怒りを通り越してあきれるばかりである。 一時帰国者の夫妻は、かの地で成長した子供達には、自分達が日本人であることも、ましてや拉致されてきたのだということも話していないという。それは当然のことと思う。彼らの子供達にとっては、かの国が紛れもない生まれ育った国なのだ。 彼らのうち一人が、いつまでも言葉が上達しないので在日朝鮮人と間違えられた、というエピソードを語っていたが、しかし在日朝鮮人も無理やり連れてこられたことには変わりはない。手段と目的こそ違え、わが国も同じ罪を犯したのだ。在日朝鮮人一世への迫害、世代を下って現在にいたるまでの差別、いやがらせは続く。日本で生まれ育った三世、四世は二つの祖国の狭間で自らのアイデンティティに悩み苦しんでいる。 一時帰国者が永住帰国への方向へ動き出せば、彼らの子供達が今後この事実に直面するのは避けられないことである。「無事帰って来ました、めでたしめでたし」では済まないのだ。罪のない人々の人生をめちゃくちゃにする国家の狂気、犯した罪の恐ろしさを考える。
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