WELLA
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1998年10月13日(火) Strasbourg

Strasbourg(ストラスブール)に行ってきた。
語学学校で知り合ったデルフィンの住んでいるところで、フランスに来ることがあったら是非寄って欲しいといわれていたのである。デルフィンはパリからそう遠くないというが、急行でおよそ4時間。時間の倹約のため飛行機に乗ることにする。
予定時間よりずいぶん早目に空港に着くが、時間になってチェックインに行くと、飛行機が大幅に遅れるという。案内があるまでお茶でも飲んでいて頂戴といって、係員が空港内の喫茶店のチケットをさっと出した。飛行機が遅れるのは日常茶飯事らしい。結局2時間遅れての出発となった。飛行時間はおよそ1時間だからこれなら初めから電車に乗ればよかったという気もする。

ストラスブールの街が近づいてきた。美しい田園地帯である。白い壁に煉瓦色の切り妻屋根家が多い。ストラスブールは、ドーデの「最後の授業」の舞台になったアルザス地方の首都にあたり、昔からドイツとフランスの間で領土が争われてきた所である。
ここに住んでいた人々は常にフランスに心を寄せていたというが、それとは裏腹に地名や建物にドイツの影響が色濃く残っている。ここStrasbourgが本来「ストラスブルグ」であったことも容易に想像できる。

ストラスブールの空港からタクシーでデルフィンの家へ。
デルフィンの住所を書いた紙を見せるが、通りの名がぴんとこないらしい。何か聞いてくるので、英語で聞き返すと運転手は英語を話さないという。ドイツ語は話せるか、と聞いてくるので今度はこちらが首を振る番である。挙げ句にこの辺らしいが見てくれ、と運転席の方から地図を寄越すが、この辺の地名はフランス語とドイツ語が混ざったようなスペルで、見てもさっぱりわからない。かろうじて知っているフランス語で「分からない(Je ne compren pas.)」を繰り返す。

途中何度も地図を見てやっとデルフィン宅に到着。
タクシーから荷物を降ろすのもそこそこに呼び鈴を押すと、すぐにデルフィンとお母さんが出てきた。デルフィンのお母さんは若い頃ロンドンにいたので英語が堪能である。笑顔が素敵なご婦人で、とても若々しい。青いマスカラがお似合いである。
デルフィンは運転手に何やら話し掛けている。あとから聞くところによると、彼女の住んでいる一角は新興住宅地なので、大変ではなかったかと尋ねていたそうだ。問題は大有りである。

デルフィンが用意してくれた昼食(米料理!)を食べて、すぐにお母さんに送ってもらって市街地に観光に出かける。道すがら標識を見るとやはりドイツ語のような綴りが多い。デルフィンの住んでいる街もHoenheimと綴り、つい「ホーエンハイム」と読みたくなるが、フランス語はHを発音しないので、「ウーンナム」となるという。無理がある。
デルフィンはドイツに対して手厳しい。あまりドイツに似ているというと、あまりいい顔をしないのだがやはり似ている。ドイツ的な建物にドイツ風の飾り文字でフランス語が書いてあったりするのは不思議な感じである。

デルフィンの案内で街の中心部や大聖堂などを見る。ケンブリッジをもっとカラフルにしたようなこじんまりとしたいい街である。ここがドイツ領だった頃、グーテンベルグ(Gutenberg)が印刷術を発明したといわれ、広場に彼の銅像が建っているらしい。行ってみたいというと、デルフィンにそれは対して重要じゃないから、と一蹴される。ちなみにフランス語ではグートンベーと発音するそうである。むー。

焼き栗を買った食べる。天津甘栗とは違ってただ焼いただけ。ほくほくしておいしい。(続く)


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