WELLA
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1998年07月12日(日) Meet People(3)

車はその中の一つ、小さな平屋建ての前で止まった。
私たちはダイアル式のロックを開けて犬を連れて中に入っていく。廊下の突き当たりに大きな部屋があり、15人ほどのお年寄りがいる。どうやらここは老人病院らしい。それぞれ車椅子やクルマのついた安楽椅子に座っている。食事は終わったらしく、配膳係の女性が飲み物を配っている。この部屋は昼間の時間を起きて過ごすところらしい。テレビや新聞を見たりする人からほとんど眠ったような人まで集まっている。壁には絵や写真が飾られ、窓の外にはハンギングバスケットやコンテナに寄せ植えになった花がやさしく咲いている。グレンダさんの犬はさっそくみんなの間をくんくんと歩きまわっては、お茶請けのビスケットをおねだりしている。

ピアノは入り口のすぐ脇にあった。背の低い縦形ピアノである。
「音をチェックしてみてちょうだい。狂っているようだったらすぐ調律してもらうわ」とグレンダさんにいわれて、軽く一曲弾いてみる。ピアノに触るのは何ケ月か振りである。ピアノは期待していたよりちゃんとした音が出た。強いて言えば低音部が少し狂っているようなので、できれば調律して欲しい、と伝える。
グレンダさんは、職員や一人一人のお年寄りに声をかけながら、私を紹介していく。年齢を聞いて驚く。90才以上がざらなのである。女性が圧倒的に多い。にっこり笑って挨拶してくれる人もいれば、ただうなずくだけの人もいるし、まったく反応のない人もいる。
「彼女は、日本からきたリエコよ。(あとからわかったのだが、どうやらREIKOではなくRIEKOだと思っていたらしい)。それで彼女はここにピアノを弾きにきてくれるかもしれないの。」
「こちらはリエコ。日本人よ。彼女はここでピアノを弾くことを希望して…、いいえ私たちが彼女にピアノを弾いてもらうことを希望しているのよ。」
この時点で彼女は私がここでピアノを弾くとは決めてかかっていない。あくまで施設とピアノの様子、雰囲気などを、実際に私が確かめた上で判断すると理解しているようだ。この時点で私はまだ「病院のピアノ弾き」候補なのである。

それから彼女は建物の内部を説明してくれた。さきほどの大きな部屋を抜けるとナースステーションがあり、そこを中心としていくつかの病室が並んでいる。個室も相部屋もある。寝たきりのお年寄りもいる。カーテンやクッションが花柄だったり、花や絵が飾ってあったり、あたたかい雰囲気である。
「私たちは、患者さんたちが自宅と同じように暮らすことを目指しているの。この建物は天井も高いし、普通の家とは作りが違うけど、できるだけ普通の家のようにしているわ」とグレンダさんがいう。
一渡り内部を見たあと、グレンダさんのオフィスに戻ることにした。行きに乗りあわせた紳士が再び現れた。彼は配膳のボランティアらしい。エプロンに蝶ネクタイがお似合いである。グレンダさんが帰ると伝えると、まだ僕はピアノを聴いてないよ、と残念そうだ。
帰る私たちを追って、職員の一人がダイアルキーの番号を書いた紙片を渡してくれた。前は同じ敷地に精神科の病院もあって、たまにそこの患者さんが突然入ってきたりしたので鍵をつけたのだという。「でも今は移転したからそういうことはないわ」とグレンダさんがつけくわえる。だったら鍵を外してもいいのでは…。
道すがらここまで来る方法、身の上、グレンダさんの日本人の友達などについて話しながら、はじめに訪ねた病院まで戻った。今度は犬は車の中でお留守番である。

「さて!どうかしら?あそこでピアノを弾いてくれることについては?」
オフィスに入って椅子に座るとグレンダさんが確認する。もちろん是非やりたい、と答えて成立である。
同意書に必要事項を書き込み署名をする。私がボランティアをするにあたっての同意者名、活動中の事故時の連絡先なども書く。わからない単語や言い回しがたくさん出てくるので、その都度意味を尋ねながら書き込んでいく。自分でもしつこいと思うけれど仕方がない。グレンダさんは超多忙で部屋を出たり入ったり、電話を受けたりしながらも親切に教えてくれる。
活動中の私は保険で保障されているので、たとえば転んで怪我をしたり所持品がこわれたりしたときは、直ちに職員に申告するようにいわれる。ああ私は組織の一員として数えられているんだな、と思ってちょっとうれしい。それから火災の際の注意事項を書いた冊子を読んで、次回までに署名欄にちゃんと理解した旨を署名してくるように、ボランティア活動中に知り得た患者さんの個人情報や状態について他言しないことを誓約して署名するようにいわれる。
グレンダさんはバス会社に電話してバスの路線、発着時間を調べてくれた。さっきの病院までは町の中心部から一本で行けることがわかって一安心である。それから私が何曜日に行くか、ということである。火曜日なら午前中にミニバスで外出するプログラムがあるので、病院まで来てくれれば帰りはグレンダさんの車で町の中心部まで送ってあげるといわれて、そうすることにする。

行き帰りの方法、手続きについては済んだが、私の心に重くのしかかっているのは、実際どう振る舞えばいいのか、ということである。行ってどうすればいいのか?どんな曲が喜ばれるか?私の弾くピアノはクラシックなので楽譜は読めるのだが、パブやバーで流れているような洒落た甘いものは弾けない。日本の曲はまだしも、どうにも形にならないのである。
グレンダさんに聞くと、他のボランティアの紳士は、子守り歌を好んで弾く、という。たまには軽快な曲も混ぜる方がいいらしい。私の行くのはちょうどみんなが起きて食事をはじめる時間なので、要はBGMである。いずれにしても静かでやさしい曲が適しているだろう。
私の活動時間はとりあえず1時間。行ったらまずナースステーションにいって「ピアノを弾きに来た」といって弾き始めればいい、とグレンダさんが言う。すべての時間ピアノを弾きつづける必要はない。職員があなたにもお茶を出してくれるので、時に休んでお茶を飲んだり、患者さんと話したりすればいい。無理にみんなと話そうとせずに、話し掛けやすい人から順に今日は一人、来週は二人、というようにだんだん増やしていけばいい。患者さんの中には音楽が単なる騒音としか聞こえない人もいて、文句をいうかもしれないけど気にしないように。まったく眠ったたままのような人もいて、聞いてないように思えるけど、よく見ると音楽に合わせて足がタップしてたりしているのよ。だからあなたの好きなように弾いてちょうだい、とのことである。ふーむ。

とりあえず早速翌週の火曜日から通うことになった。不安はいっぱいだが、ま、なんとかなるだろう。


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