小学4年生の桐原少年は父親に連れられて藤田の講演に良く行っていた。この公演は月に1度は必ず催され、いつも盛況で島の住人で溢れていた。この公演は藤田の父親の時から既にあったのだが、父親が死んで一旦なくなり、5年後から彼が引き継いで再開した。25歳の時だった。
「シンプルに言いますと私は父の講演で育ちました。けれども父が死んで、講演は終わりました。それからその講演の無い生活が始まったのですが、無くなって初めてその意味が解ったのです。何かを考えるにもまったく指針が無いのです。きっかけであったり、確認できる指針が全くない状態だということをだんだん実感していきました。この言葉にできない有耶無耶は時間を経る毎に増大していきました。
ある時漁師の酒田さんと話をしていて『あんたの親父の講演はほんとに良かったよ』という話を聞かされ、私の有耶無耶はもしや誰もが持っているのではと考えました。たぶん、父が死んですぐにもそのような事を皆さんから言われていたのですが、それは単に感謝としか受け取れませんでした。
同じ言葉でも受け手の状況により受け取り方は異なりその後の行動は変わるのです。だから今日の講演も今日の皆さんと明日の皆さんまたは1年後の皆さんでは、どう受け取るかは異なると思います。一旦ここで休憩を挟みます。この休憩で自分が今どんな状態なのか考えてみて下さい。
問題があるのに解決できないと決めつけてませんか? 聞く耳をもたない殻に閉じた状態になってませんか? 結局のところどうなりたいのですか? それを素直に発信していますか?
考えてほしいと思うのはこんなところです。では休憩に入ります」
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