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2003年09月23日(火) 「アンナ・カレーニナ」読了

 くもり空の休日。テレビをつけて、普段はめったに見ることのできない料理番組を見る。「3分クッキング」とか。私は子どもの頃から料理番組が大好きなのだ。料理は作るのも好きだけど、人が作るのを見るのも楽しい。

 計画どおり、「アンナ・カレーニナ」を最後まで読んだ。うーん、なるほど。
 読む前から、最後にアンナが列車に身を投げると知ってはいたけれども、私はこれが納得いかなくて、なんとか死ななくていい方法はなかったのかと考えながら読んでいた。トルストイは最初からアンナを死なせるつもりで書いているのだから(多分)、死を選ぶまでの心の流れはごく自然で悲劇のアンナに同情して読むこともできるが、私はイヤだ。私を捨てたあの人に死んで復讐を!、とかそういうのはイヤだ。鬱陶しい。生きて復讐してやれよ、せっかく自分の足で生きようと決めて、ダンナを捨てて、子どもまで犠牲にしておきながら、ウロンスキイのようなへなちょこな奴のために死ぬなんてもったいないよ。
 
 でもウロンスキイだってそれほど嫌な男でもないのだ。彼は彼なりにアンナを愛したし、誠実であろうとした。でもうまくいかなかった。どんどん気持ちがすれ違っていっちゃって、ダメになっていくくだりは読んでいても辛かった。人が思い描く希望や夢がたとえ実現したとしても、それが本当に幸せをもたらすとは限らないのだ、哀しいけれども。
 
 この小説は、恋愛や結婚や家庭のことだけでなく、政治や哲学、宗教まで、書いてあることが広くて深くて、じっくり読んで考えていたらものすごく時間がかかる。トルストイにしてもドストエフスキーにしても、これほどまでに明晰に物事が見えている人って、頭がおかしくならないのだろうか。自分が理解したこと、考えること、想像したこと、思想したことを言葉にしなければ気が狂ってしまうから、この人達は小説を書いたんじゃないのかなあ、となんとなく思った。

・購入物:なし

・朝、昼食:天ぷらそば、梨
 夕食:茄子とニシンの炊き合わせ、高野豆腐の卵とじ、キノコ(エリンギ、しめじ、まいたけ)のスープ、ご飯
 


フクダ |MAIL

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