妄想更新日記
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| 2002年06月04日(火) |
意味わかんなーいはなし。 |
新旧交代で役員が変わった。
こういう保育園みたいなのの役員とか父母会長って経営とか絡んでる訳じゃ無いからそーゆー知識はいらない。
現在の会長は人望も熱いが組織的な事や運営や経営やとにかくこむずかしい事はそんなに詳しい人では無かったと思う。しかし保育園歴も長くこの園が存在する意義とか何が大切なのかはしっかりわかってる会長だった。
その会長が今度は園の理事になって欲しいと言う申し出があって会長のポストが空いてしまった。
そこで色々話し合いもあったのだが彼は
「やっぱり誰が会長になっても困らないようなそんな運営をすべきじゃないか」
という。
「会長」というと「責任」とか「運営」とか「人をひっぱっていく」とか「難しい会議で意見をいわなくちゃならない」とか色々そういうものが附随して誰もやら無くなってしまう。もっと誰もが出来るようなイメージのモノにしないと
という意見だ。
今回本当になり手がいなくて苦労したのだ。
確かにワタシも「会長」は会議に「参加」するだけでもイイと思う。実際の運営のレジメは事務局がやるんだし役所相手も「渉外担当」をきめればいい。出欠確認も宣伝もみんな割り振って行けばイイと思う。
そーゆー事を考えると「責任」とか「運営」とかからは随分解放されていくだろう。
しかし、どーしても会長に必要な能力。
私はそれは「カリスマ性」だと思う。
この人といるとなんか楽しそうな、中心の輪に加われるような、嘘つかなくて誠実で一生懸命。そんな「人間性」さえあれば附随する能力なんていくらでも周りがカバーできると思う。
しかし、その「人間性」が出来た人を探すのが本当に難しい。
少数だからか彼等はすでに職場や地域ですっかり必要とされていていっぱいいっぱいなのだ。
この間バザーがあった。
職員の一人が毎日毎日遅くまで仕分けを一生懸命やっている。やらなくったって給料はもらえるし職員皆が残ってる訳では無い。
毎日やら無くても良い事かもしれない。それを人に強制もせずもくもくとやる姿が人の胸を打つのだ。「なんか手伝わなきゃ」と思って人がついてくるのだ。
いくら会議を段取りよくまわそうと事務能力があろうと人はついてはこない。
「やれる事を無理ない姿勢で献身的に動く姿」
それが大切だと思う。
今までの会長にはそれ+華やかさがあった。
「●○さんの為ならしょうがないかー」っていってくれる人が何人もいた。
なかなか見つからないのは当然だ。
こういう「自然な人間性」って言うのは本当に親の躾だなー」と若い子を見て思う。
大変そうな時「何かする事ありませんか?」と、どうして一言きけないのか。
きける子は延びる。そういう気持ちと周りを思いやれる心があるなら。
「〜だったらどうしよう」と踏み止まっている子は所詮自分が可愛い。「嫌思いをしたくない」のだ。
「もし足手纏いでもすいませんとあっけらかんと反省してつぎに頑張ろう」という単純な思考。
深読みばかりしてるよりよっぽど鍛えがいがある。
「無理だ」と思ったらはっきり断れる勇気。
素直に人に甘たりできるかと思うと周りが大変なら自分がしんどくてもふんばったり。
そこらへんのさじ加減を知ってるのは本当に賢い子で。
それを育んで来た親と周りを尊敬する。
まずは素直に「すいません」と言え。
「言い訳の見苦しさ」を知れ。
事件があって絶対に片方ばかりが悪い何んてありえないとちゃんと周りは思ってる。生け簀か無いやつがどう思おうと周りの人の中には冷静な人もいる。
その事件の後本人がどうするか。むくれもせず頑張るかぶつぶつ周りに文句言いふらすか
ソーユーのをジッと見てる人がいる。必ず。
そこで始めて貴方の評価が出来上がる。
「その事件の失敗」なんてだから大した事じゃ無いんだよ。同じ事を反省もせず繰り返せば呆れられるかもしれないけどね。少々の失敗なんか全員やってきてるんだよ。
「人の眼が恐かったら」まず誠実に動く事だと思う。
その姿勢を買ってくれる人が必ずいる。
そういう人が大勢増えた時
その時に始めて
「誰でもなれる会長職」という理想が実現するんだと思う。
自分もこの事を胆に命じて日々がんばってるつもりだが卑屈な心は「疎まれる」のを異常におそれてびくびくしてしまう。
ここからここから。
新規会長は能力の高い人だが背負い込みやすく心配している。
私はやっと「長」を逃れた。
何となく色々心配だが続けても来年率園。しょうがない。
一年間縁の下の力持ちには徹しようと思ってる次第だ。
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