| 2001年09月28日(金) |
新潮文庫、ミレニアム記念アンソロジー『百年目』 |
読み終わっていたのですが、編集の余りの下手さに腹を立てていたので(笑)。 半ば以上、秀作だったので余計に腹が立った。そして編集者が、その秀作を判っていないのも、扱いきれていないのも腹が立った。 けれど本にも秀作にも罪はないのです。 急に寒くなって持病の発作が出まして。季節の変わり目を私はほぼ憎んでいますが、まあ体調が落ち着いて、だらだらと布団の中で読み返してしみじみ。 腹を立てているうちにこれを書く機会がなくなるなると云うことに気付いて慌てて書いています(苦笑)。読み手モード、柳沢。 阿川弘之「くらやみ阿呆列車」 身内には今更ですか、私はこの人の熱烈な読者なので、誉めるのは基本ですー(笑)。変なものを読ませるはずがないという確信はあるし。けど読み返しながら、本当に読みながら、しみじみとこの話が、阿川が書いた最新のものだと気付いて、込み上げてくるものがありました。 私は、阿川の書いたものはこの人が50歳以上からのもののファンです。 若書きに興味はない。阿川の真価は50からだと思っています。 それも、歳を取れば取るほどいい。50よりも、60、60よりも70。随筆の最新刊を、首を長くして待っている、数少ない作家です。 けれどだからといって、最晩年の阿川の文章が、私を満足させてくれると誰が言い切れるだろう。 そう思うと、改めて、この淡々とした、もう。淡々とものを書いている老文士の文が身に応えました。 阿川を読むとき、大丈夫だろうかと私は不安に思ったことなどなかった。なんて贅沢だったんだろう。ああ、ごめんなさい。 しかもやっぱりこの人のものは歳を刻めば刻むほどいいのです。 不安に思わずこの小文を読んで、打たれるようにこの作家の健在を、身を研ぐ文に目が覚める。 でも、間に合わないかも知れないとときどき焦る。 何と云われようとも日々長生きしてくれと、必死にエールを送っています。 長生きしてくれ。頑張ってくれ(切実)。 山風が持って行かれてしまったので、そう思っているもしかしたら最後の作家かもしれません。 いや、死なれたら切ない作家は一杯いるけど・・・(汗)。 この人がいなくなったら終わるものの大きさを知る。
青函トンネルを潜りながら、寝台列車にがたごとと、真夜中に揺れる、みすぼらしい、力を持たない老文士の背中がそれでもいい。 百間先生なら、これをくらやみ阿呆列車と名付けるだろうとその背中は思っている。 軋んだ車輪が年老いた自分に、いい加減、まあだか、まあだか、と云っているようだと云う。 技巧的にもラストの部分はお約束的に上手い。上手いと思いつつ、込み上げる。疲れているだろうけど疲れているのは判っているんだけど、けど縋るようにまだまだ、まあだだよ。と云いたい読者の自己主張を私はする。
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