| 激論は続く,ばななになる? |
昨日のMのメールに返信。 「緑さんが感じて、考えて、私たちと対話するわけでしょう? (略)私なりにMなりに感じる部分を話すでしょう。その一環で、最後通告ではないよ。」
「そんなこと(=私がいいと思ったことを緑さんもいいと思うにちがいない=『緑さんは私』)、 思ってないよ!めちゃくちゃ抵抗されるだろうと思ってるよ。」
「私も押し付けはいけないと思う。というかそんなことできないよ。 緑さんだって拒絶するでしょう。 私がしたのは『投げかけ』ですから、受けるも受けないも緑さん次第。 受けようと拒絶しようと私の愛は変わりません。」
「そんな(非常にいやな感じを受ける)言葉の使い方しか出来なくてすみません。 Mの感じたように聞こえてしまう言葉だろうから、 私も言葉にするのに非常に躊躇したし、怖かった。
でもじゃあ、なんて言えばよかったのか?と考えると、 やはり『このままだよ』としか言えない。 先ほど否定したとおり最後通告ではないから、 投げかけとしてはふさわしい言葉だったと思う。 不快な思いをさせてごめんなさい。(って政治家の釈明答弁のようだが)」
「みんなが優しく見守る中、私はぐだぐだ因縁つける不良友人ってことで 緑さんの人生に関わっていきたいです。
緑さんは『わかりました』(『そのとおりにします』ではない)と言っていたし、 そういうことを言われて怒っている?不快?話したくない?と聞いたら 『そんなことないよ、有難いと思うよ』と言っていたので、 私は言って良かったなと思っている次第です。」
緑さんの個展の売り込みを問い合わせた数社のうち、 大学のゼミの先輩でテレビ局勤務Nさんがとても丁寧なメールをくれた。 やはりテレビ的には本人のキャラクターか作品がプログラムとして成立するか、 「ニュース」的要素が求められるとのこと。 キャラクターも作品も非常に魅力的なんだけど、本人が出たがりではないからなあ。 あくまで作品本位で、となると紹介のチャンスは限られてくる。悩ましい。
例えば、誰か有名人がファンだってことは大きなニュース的要素だ。 吉本ばななと奈良美智とか。緑さんファンの有名人というと…? じゃあもう、私がなる。ばななになる。
かつて「将来金持ちになって西澤緑美術館を作る」と宣言して、 金は無いけど、WEB上だけど、実現した。 だから、奈良美智のばなな作戦も実現する。緑道は棘の道、頑張るぞ。
なんてことを朝までやってて、テープ起こしはちっとも進まない。
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2002年04月18日(木)
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