おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ
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2007年09月04日(火) 岩波新書『アジア・太平洋戦争』読了

太平洋戦争の概説書として随所に鋭い視点がちりばめられている。
 曰く「「重要国防資源」は(中略)東南アジア経済を日本経済に従属させる政策であり(中略)それは民衆生活の悪化に直結した。なぜならこの政策は宗主国の工業力から各種の工業品が供給されることで成り立っているのにかかわらず、日本にはそれを供給する経済力が無かったのである」
 植民帝国が商品の輸出先に駆られて領土拡大に走ったのに対し日本の国策の本末転倒振りが端的に描かれている。
 曰く「戦後、サイパンの防衛がなぜ遅れたのかの問いに対し「(略)我々の(略)考えいたらず(略)のんきに構えていた」」
 数万の使者を出したサイパン戦の責任を呑気の一言で済ます日本の司令部の正に「呑気」ぶり
 曰く「学徒兵は将校の中で「消耗品」と位置づけられていた。その結果、生き残った学徒兵たちは、軍隊や軍人に対する根深い不信感を身につけて戦後社会に復帰していくことになる。このことは経済復興から高度経済成長をになった日本のエリートたちの政治文化に深い影響を与えることになる」戦後の「軍事」アレルギー・「非戦憲法」への「崇拝」がここに現されている
 曰く、「都市に対する無差別爆撃が戦略的にどれほど有効であったかは解らない。(略)大井篤は(略)「もし敵が機雷攻撃と平行して鉄道爆撃を実行していれば日本はもっと早く降伏を余儀なくされていたかもしれないが、なぜか、敵の戦略爆撃は都市にだけ向けられた」」東京空襲の指導者カーチス・ルメイに代表される、黄色人種に対して行えた非人道振りがこのようなところに現れていないか。
 曰く、「増産が至上命令となる中で、政府は直接生産者である小作農を保護する政策をとらざるをえなくなり、結果として、寄生地主制は、戦時下において大きく後退することになった」このことは想像もしなかった。咲く所は何箇所かで(戦後民主主義を受け入れる萌芽は戦時下に芽生えていた)という胸のことを書いている。戦争は平等を推し進める、という言葉があるが、そのことはあの戦争中にもあったのだ。
 曰く、「中曽根康弘元首相も(略)「あの戦争の指導者には日本人自らがきちんとけじめをつけるべきであったのにかかわらず、冷戦が始まり、別の温かい風が流れ込んできたため中途半端に終わってしまった」A級戦犯の靖国合祀を行った中曽根がこんな発言を、という意外感(しかし「けじめ」をつけていれば職業軍人であった中曽根は総理はおろか防衛庁長官にもなれなかったのではないか)

ひさびさに唸らされた新書。岩波の面目躍如か。


べっきぃ