おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ
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| 2004年10月08日(金) |
新潮選書『ケマル・パシャ伝』読了 |
前から積読状態だったのを一気読み。
トルコ近代化の父アタチュルクこと「灰色の孤狼」ムスタファ・ケマル・パシャの伝記。 ちなみに親から貰った名はムスタファ。師匠に与えられた名がケマル(完璧の意)。パシャは武官なら将軍に与えられる称号。アタチュルクは彼がゼントルコ国民に姓をつけることを命じられたとき(それまでトルコ人にはモンゴル人同様姓は無い)、議会より送られた姓。
著者曰くケマル・パシャの偉大さはそれまでのイスラム国家オスマントルコにおいて政教分離を成し遂げて近代的な国民国家トルコ共和国をほぼ独力で築き上げた点にある。 ではそれまでのオスマン帝国・つまり政教一致社会はどういうものか、なぜオスマン帝国は近代の導入に失敗するのか、なぜ政教分離を成さねば近代資本主義は導入できないのか、そして彼が目指した民族主義国家・国民国家とはなんなのか、を一人の男を主人公に時代を追うことにより克明に浮き彫りにしていく点に本書の面白さがある。
国家のほうよりもシャリーア(イスラム法)が先立つ世界に「近代」を導入する時全ての近代の産物はシャリーアの検閲を受けねばならない(蒸気はいいが電気は駄目、くらいならまだしも銀行や株式会社のような有限責任の投資手段がシャリーアに否定されては近代資本主義は成立し得ない)。この点カリフであってもウラマー(イスラム法学者)の支持なくてはイスラム世界の最高権力者足り得ない。
その国に近代を導入するためには根本的な部分から民衆の意識改革・自分達はイスラム教徒である以前よりまずトルコ国民であり国家の定めた法にこそまず従うべきであり、なぜなら国家のほうは自らが望んで定めたものだから、という理論を推し進めていくとカリフの廃止・共和政の導入に押し切らざるを得ない。そしてその近代意識の改革は共和国大統領という形で絶対権力を握ったケマル・パシャ一人の手で推し進められている。
よく概説書で「アルファベットを広めるために自ら教鞭をとるケマル・パシャ」の写真が載っている。あれは今まで「天皇の田植え」のような一種のパフォーマンスと思っていたが、この伝記を読むと彼は自ら「文盲」という国家に巣食う強敵を倒すためには自らチョークという武器を取って最前列で戦う性格だったことがわかる。なぜならそれは彼がパシャの称号を受けた第一次世界大戦中の奇跡・英国軍をして「我々はあらゆる要素を計算して作戦に踏み切った。だがあの男だけは計算に入れていなかった」と言わしめたガリポリの戦いの折に常に銃弾飛び交う最前線に身を晒し、兵士達を叱咤激励して戦わしめた往年のケマルの姿そのものだからだ。
しかも驚嘆すべきは共和政という名の独裁体制を敷き、近代化の最前線に立って指導する一方、(共和政の枠組みを壊さない範囲での)野党の育成まで自らの手で図ったという事実(流石にこれは時期尚早で、議会はつかみ合いのケンカに陥るが)。つまり彼は明治維新・殖産興業・富国強兵に加え自由民権運動まで1人で進めようとしたことだ。
そしてケマルは毛沢東のように労害を撒き散らす暇もなく58歳の若さで彗星のように世を去る(といえば聞こえはいいがラク酒の飲みすぎによる脳卒中)。
やや著者がケマル・パシャに惚れこむあまり、贔屓の引き倒しになっている向きも無きにしも非ずだが、来年はトルコ、という気持ちにさせられてしまったことは確かだ。
べっきぃ
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