学校を卒業し、いざ向かうは労働の場。社会。
親の庇護から離れ、全て自分で責任を負う立場となる社会。
黙って楽して過ごせる学校。義務教育。
それでも『ダリー』だの何だのと、垂れ流すように学生はほざきやがる。
挙句の果てにはプチ家出、学級崩壊など聞いた事もないような言葉を造りあげていく。
親が守ってくれる。
誰かが守ってくれる。
そんな甘えがあるから簡単に世の中に反抗できるんじゃねーのか?
・・・・・・・・・・いや、違うか。
俺が年を食っただけか。
目まぐるしく回る世の中に流され、そして働く事によって己が活力を失っただけなのか。
時折、『あぁ、俺は一体何で働いてるんだろう?』『俺は一体何なのだろう?』と考える事があるが
これは社会の洗脳から逃れる一瞬なのかも知れない。
それでも一晩寝れば、また社会に洗脳されて会社に行くのだ。
学校を卒業し、働き始めてから10年近く経つ。
俺は良い意味でも悪い意味でも、社会に適応してしまっているのかも知れない。
社会に適応するというのは、自分を殺すという事とイコールなのだ。
悲しいかな、それが現実。
この論理は当たってはいない。
けど外れてもいない。
¨遠からず当たっている¨という事か?(苦笑)
もし今の俺が反抗するとしたら、反抗の声を上げるとしたら
『好きで働いてんじゃねえ!!』
っていう弱気な反抗だろうね(苦笑)
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