無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年05月21日(金) 『イノセンス』カンヌ上映。

 今日はしげが知り合いの劇団のお手伝いで一日いない。
 解放されたような、ちょっと寂しいような。おっと、「ちょっと」だけじゃ、しげの機嫌が悪くなりそうなので「すごく」と言っとこう、一応(^_^;)。

 銀行に寄ったりと私用がいろいろとあったので、仕事を半ドンで終えて、博多駅まで出る。
 銀行でお金を卸して、郵便局で振り込み。これは七月にある『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー』のチケットを買うため。コメディ作家、レイ・クーニーの代表作、『パパ・アイ・ラヴ・ユー』の改題(というか、原題に戻したもの)、再演。キャストは上川隆也・羽田美智子・濱田マリ・綾田俊樹。舞台役者としてはどんなものなのかよく知らないが、ともかくクーニーの芝居をいっぺんこの目で見てみたかったというのが動機である。……考えてみたら、ニール・サイモンだって、台本で読むかテレビで見てるばかりで、ナマの舞台を見たことってないのである。仮にも芝居の台本書いてる人間が年に10本程度しか芝居を見にいってないってのは恥ずかしい限りなのだが、先立つものと相談したら、これが精一杯なのである。

 そのあとキャナルシティまで歩いていって、AMCで今日が最終日の『フォーチュン・クッキー』を見る。2週間で打ち切りというのはちょっと早い気がするが、オリジナルの『フリーキー・フライデー』は輸入すらされなかった(テレビ放映のみ)から、見られただけまだマシか。客は私の他にカップルがひと組だけ。なんだか二人きりの空間を邪魔したみたいでちょっと心苦しい。映画は母と娘の入れ替わりものだが、オリジナル版よりずっと脚本が練られていて、現代的になっているのがミソ。

 もう一本、夜、映画を見る予定なので、本屋を2、3軒、回ったりして時間をつぶす。
 紀伊國屋で予約しておいたDVDを購入。買おう買おうと思ってなかなか手が出ないでいた講談社の「ミステリーランド」シリーズをまとめて買う。有栖川有栖、小野不由美、島田荘司、高田崇史、竹本健治、西澤保彦、森博嗣といった当代第1線のミステリ作家達が、少年向けにミステリーを執筆していくもの。まさに江戸川乱歩の少年探偵シリーズ再び、という企画で、青少年の活字離れ云々に対して、出版社が具体的な対応策を考えている嬉しい例である。……できれば角川あたりが、昔の文庫版ジュブナイルシリーズを復活させてくれたらもっと嬉しいんだけどねえ。

 夜、シネ・リーブル博多駅で5周年記念「怪奇幻想文学秘宝館」シリーズの最終回『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』を見る。前に見てるやつではあるが、こういうサベツ問題にひっかかってるせいで、ビデオソフト化が見込めない映画は、上映の機会があるたびに見ておきたいのである。「知ってる人は知ってる」映画だから、100人ほどしか入らない会場が満席どころかパイプ椅子の増設に立見まで出る大盛況。私と同じく、必ずしも初見の人ばかりではないのだろう、随所にある爆笑シーンにも、場内、それほど笑いは起こらない。
 私はといえば、確かに最初見た時にはその驚きの「作り」に呆気に取られたのだが、二度目となるとかえって石井監督の乱歩に対する思いの方が胸を打って、とても笑って見てなどいられない。つか、また泣いてるし。なんだかもう、涙腺がゆるみっぱなしなのである。

 映画が終わって、バスがもうなくなっていたので、しげに連絡を入れて迎えに来てもらう。一日歩きっぱなしで、さすがに家まで1時間半かけて歩いて帰る気にはならなかった。しげも一日お手伝いで疲れ切っていたのだろう。
 「『理由』を見て寝る」と言って、DVDをかけて見始めたのだが、数分もしないうちにイビキをかき始めた。昨日一昨日もこんな調子だったし、しげが『理由』を見られるのはいつの日になるのだろうか。
 今日買ってきたDVD『丹下左膳余話 百万両の壷』と『キル・ビルvol.1』を続けて見る。『百万両』は、GHQによってカットされていた立ち回りのシーン20秒が復活した、今のところの最長版。見てみりゃ分かるが、なんでこの程度のシーンがカットされたのかわけが解らない。ともかく「刀を抜いたらダメ」ってことだったんだろう、としか言いようがない。この程度の描写を残酷だと認定し、またこういうのを見せなければ日本人を善導できるなんて思いこんで占領政策を行なってきたアメリカという国がいかに小児的で歪んだ国か。けどアメリカ国内でそれを批判してるのがマイケル・ムーアのようなまたコドモだっていうのが、なんかもう、ナントカとナントカの絡み合いみたいで、ウンザリなんである。


 昨日、カンヌ映画祭で、押井守監督の『イノセンス』がコンペティション上映。でも日本のテレビ局はキムタクがどうのばかり報道してて、こっちの方には見向きもしてないなあ(そちらはそちらで、彼にばかりスポットが浴びていて、出演している映画『2046』の紹介もおざなりだ。どんな筋で、誰が監督で、共演者は誰か、あなたはご存知ですか?)。……タランティーノ審査委員長、世間の評判に流されないで、しっかりたのんまっせ。
 読売新聞が『イノセンス』について、「近未来の日本を舞台にしたSFアニメで、この日の上映には、押井守監督も出席。上映終了とともに立ち上がった観客から大きな拍手を送られ、『理解してもらえるか不安だったが、かなりいい反応でほっとしている』と笑顔で語った」と紹介しているけれども、どの程度のものだったんだろうか。カンヌの審査は必ずしもスタンディング・オベーションには左右されないけれども、「大きな拍手」と「拍手鳴り止まず」とではニュアンスがかなり違うからなあ。
 情報があまりに少ないので、カンヌ映画祭の公式ページまで覗いてみたが(ネットの一番ありがたいことは、海外の情報まで即座に散策できることである)、ありましたありました。作品解説と、押井監督のインタビュー記事が。
 一応、全文を紹介するけれども、全部を翻訳するのはしんどいので、押井監督のインタビュー部分だけに留めます。

> Competition: "Innocence" by Mamoru Oshii
In addition to Shrek 2 that screened early in the Festival, the second animated feature in competition is presented today, Innocence by Mamoru Oshii. The Japanese director spent nine years making this follow-up to his cult hit Ghost in the Shell. The characters are the same but the political tone has given way to a philosophical one, a hymn to life. Furthermore, the technical rendering is much more formal, mixing 2D, 3D and computer graphics.

 簡単に要約すると、「『攻殻機動隊』の続編だけれども、内容はより哲学的になっていて、2D、3D、コンピューター・グラフィックスが混じってる」ってとこですかね。ここはただの作品解説。

> It is the year 2032 and the line between humans and machines has been blurred almost beyond distinction. Humans have forgotten that they are human and those that are left coexist with cyborgs (human spirits inhabiting entirely mechanized bodies). Batou is one of them. His body is artificial: the only remnants left of his humanity are traces of his brain ・and the memories of a woman called The Major. He is investigating a murder case involving malfunctioning androids that went berserk.

 ストーリー紹介。
 「人間は自分たちが人間であったことを忘れてしまっていた」というあたりが、欧米人にはどんな風に受け止められるか、というのが気になるね。アシモフの『アンドリュー(なんたらかんた)』(『バイセンテニエルマン』)も結局『ピノキオ』だったし、人間とロボットとの確執を描いても、結局は「人間様が上」な感覚から欧米人は脱却できないのである。人間が人間であろうとすることなんて、夢を見ているようなものだって発想で一貫して映画を作ってきた押井監督の思想は、結構反発を食らうような心配もあるのだけれど。
 ……今まで注意してなかったけど、バトーの綴りって、“Batou”だったんだね。もしかして漢字で「馬頭」って当てるのか? しかし「草薙」に「馬頭」と来ると、どうしても諸星大二郎の『暗黒神話』を連想しちゃうねえ。そのあたりのアナロジーについてはあまり深く考えたことはなかったんだけれども、士郎正宗はそういう「遊び」も想定してたんだろうか。

> Mamoru Oshii on his intentions: "This movie does not hold the view that the world revolves around the human race. Instead it concludes that all forms of life ・humans, animals and robots ・are equal. In this day and age when everything is uncertain, we should all think about what to value in life and how to coexist with others."

訳:製作意図について
 押井守「この映画は、世界は人類を中心に回ってるという見方で作られてはいません。むしろ生命の形は人間も動物もロボットも同じだと結論付けています。今日、あらゆるものが不確かな時代にあって、ぼくらはみんな、命の価値がなんであるのか、どうやって他者と共存していくのかを考えなきゃならないんです」

 これもまた実にストレートな発言で、欧米人の神経をかなり逆撫でしたんじゃないかと思うけれど、ブーイングとか失笑はなかったのだろうか(^_^;)。でもまあ、科学的にも生命と非生命との境界線は曖昧であったりするし(それは「生」と「死」の間に厳密な境界線がないことも意味している)、仮に「精神」あるいは「思考」が非生命体に対する生命の優位性を証明するものだという考えに基づいたとしても、オソロシイくらいに単純な思考しかできない人間も世の中には掃いて捨てるほどいるから、あまり威張らないほうがいいような気もするのである。
 なんにせよ、「クローン禁止」とか言ってる時点で、欧米人はこれ以上ないくらいに「思いあがって」「思考停止」してしまっているんである。で、そいつらと「共存」しなきゃならないのが日本の頭の痛いところなんだよなあ。まったく、「馬鹿には勝てん」のだ。
 なんにせよ、こういう挑戦的な発言をカマシてくれるあたり、押井監督、パルムドールが取れるかどうかなんて気にしてないみたいだなあ(内心はどうか知らんが)。

> Press Conference: "Innocence"
For the official presentation of the competition animated feature Innocence, Japanese director/writer Mamoru Oshii, composer Kenji Kawai and producer Mitsuhisa Ishikawa answered questions from the press. Highlights.

 記者会見の様子。
 公式サイトには、中央にヒゲ面長髪の押井監督、向かって右にやはりヒゲ面の石川光久プロデューサー、左隣にパッキンの川井憲次さんが座っていらした。掲載されていたのは押井監督のコメントだけだったけれども、あとのお二人がどんなことを喋ったかも気になるところである。

> Mamoru Oshii on the origins of the film: "When Production I.G first proposed the project to me, I thought about it for two weeks. I didn't make Innocence as a sequel to Ghost in the Shell. In fact I had a dozen ideas, linked to my views on life, my philosophy, that I wanted to include in this film. [...] I attacked Innocence as a technical challenge; I wanted to go beyond typical animation limits, answer personal questions and at the same time appeal to filmgoers."

訳:映画の成り立ちについて
 押井守「プロダクションI.G.が、最初、ぼくのところに企画を持ってきた時に、二週間考えました。『イノセンス』を『攻殻機動隊』の続編として作るのはやめようと。実際にぼくは、ぼくの人生観や哲学、この映画に込めたかったことに関連した12のアイデアを思いついてました。……ぼくは『イノセンス』で技術的な面で挑戦をしましたが、それは型通りのアニメーションの限界を越えて、自分個人の疑問にも答えて、同時に映画ファン達にも訴えたかったことです」

 よくネットでは前作『攻殻機動隊』を見ていないと分らない、という批評が横行していたけれども、そりゃあ、草薙素子がどういう存在であるのかとか、1作目を見ていれば「わかる」のだけれども、だからと言って、『イノセンス』を見ただけではわけが分らない、ということにはならない。それを言い出すなら、欧米の文化を知らない我々には海外の映画は「一切分からない」し、東京の人間には大阪人や九州人の感覚が「絶対に理解不能」だし、個人の考えていることは他人には「ほんのひとカケラも見当がつかない」のである。もちろん、そういう次元での「理解不徹底」は常に存在していることは確かなのだけれども、それを持ち出していい場合と、不必要な場合とがある。
 「1作目を見ていないと『理解不能である』」という言い方は、映画について語ること自体を拒絶している。1作目を見ていないからこそ、「何かが伝わる」こともあるのだ。こういうモノイイをする人というのは、たいてい情報に振り回されているだけか、知的スノビズムに陥っているだけだから、あまり相手にしないほうが無難なのである。……『エヴァンゲリオン』のブームの時に、やたらいたタイプの痛いオタクさんですがな(^_^;)。

> Mamoru Oshii on his narrative intentions: “for Innocence, I had a bigger budget than for Ghost in the Shell. I also had more time to prepare it. Yet despite the economic leeway, abundant details and orientations, it was still important to tell an intimate story. [...] Personally, I adore the quotes in the film. It was a real pleasure for me. The budget and work that went into it contributed to the high quality of imagery. The images had to be up to par, as rich as the visuals.”

訳:「『イノセンス』では、『攻殻機動隊』の時よりもずっと大きな予算が組まれました。準備のための時間もたっぷりありました。けれど、経済的な余裕があるにも関わらず、ディテールや方向付けが膨大になったのは、物語の本質を語るにはそれがやはり重要だったからです。……個人的にぼくは、映画に引用を持ちこむことが大好きです。それがぼくにとっての一番の楽しみなんですね。それに費やした予算と仕事は、映像をハイ・クォリティなものにすることに寄与しています。イメージは基準に達するものでなければならなかったし、映像も同様です」

> Mamoru Oshii on Godard: “This desire to include quotes by other authors came from Godard. The text is very important for a film, that I learned from him. It gives a certain richness to cinema because the visual is not all there is. Thanks to Godard, the spectator can concoct his own interpretation. [...] The image associated to the text corresponds to a unifying act that aims at renewing cinema, that lets it take on new dimensions.”

訳:「やたら他の作家さんの引用をしたがるのは、ゴダールの手法です。お手本となるものは映画にはたいへん大事で、ぼくは彼からそのことを学びました。映像がそこに介在していないからこそ、映画にある豊かさが生まれます。ゴダールのおかげで、観客は自分自身の解釈を模索できるんです。……映画を活性化させたくて、新しい表現を切り開こうとする試みを統一的にやろうとすると、お手本によってイメージを作りあげることは、ちょうど具合がいいんですね」

> Mamoru Oshii on animation: "I think that Hollywood is relying more and more on 3D imaging like that of Shrek. The strength behind Japanese animation is based in the designers' pencil. Even if he mixes 2D, 3D, and computer graphics, the foundation is still 2D. Only doing 3D does not interest me."

訳:「ハリウッドは『シュレック』のようにますます3D映像に依存していくと思います。日本のアニメーションを支えている強さというのは、アニメーターたちのエンピツに基盤があるんです。たとえ2Dや3D、コンピューターグラフィックスが混在していても、そのおおもとはまだ2Dなんです。3D映像を作ることだけはぼくには興味がありません」

 『シュレック2』なんぞと比較されてたまるか、ってな感じにも聞こえちゃうなあ(^_^;)。
 日本で喋ってたことと内容的に重なってる部分も多いので、今更な部分もあるけれども、どこへ行っても押井守が押井守であることは嬉しいことだ。

2003年05月21日(水) すっ飛ばし日記/モンティ・パイソンな女
2002年05月21日(火) ハコの中の失楽/『KATSU!』3巻(あだち充)/『アリソン』(時雨沢恵一)ほか
2001年05月21日(月) アニメな『ヒカ碁』/『臨機応答・変問自在』(森博嗣)ほか



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