無責任賛歌
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| 2004年03月30日(火) |
ポエムは人生を語る。 |
昨日、アクロスとかでも回転扉の事故が起こってたんじゃないかと書いたけど、やっぱりその通りだった。平成9年からこっち、“少なくとも”4件の事故があったとか。……絶対、そんなもんじゃ済んでないよな。挟まれたり転んだり、被害者はたいてい子供か老人らしいが、そういう事故が起こってもずっと放置してたってことが、この社会の「子供と老人は邪魔者」感覚が蔓延してることの証拠なわけである。どこがバリアフリーだ。 若いことやカラダが頑健なことを絶対の価値のように思ってる人間って多いけど、それってただの傲慢だし、健康なことがそんなにえらいんかい、と文句の一つくらいつけたくなる。人間みんなトシ取るし、一生健康でいられる人間なんて稀だろう。その程度の想像力もケツラクしてる人間がモノ作ってるってのが腹立たしいんだけど、「そういう人間しかいない」んじゃ、どうしようもないのである。 シーホークはもっと被害者が出てたらしい。多分、今後しばらくは回転扉は激減して行くと思うけれども、こういう時こそ「回転扉を発明したのは誰か」みたいなトリビアを誰かが披露してくれないものかな。どんな理由であんなイカレたものを開発したのか、知りたいものである。
文部科学省が、来春から使用する小学校教科書の検定結果を発表。 前回の改訂では「ゆとり教育」の一環として、その内容が大巾に削減されて物議を呼んだのだが、「学力が低下する」との批判を受けて今回はそれらの内容が「発展的内容」として掲載されることになった。具体的には、「台形の面積を求める公式」(5年算数)などが復活、「食物連鎖」(6年理科)、「縄文時代」(6年社会)などの中学レベルの内容も許容されている。 受験競争華やかなりし頃は「もっとゆとりを」と文部省の「積めこみ教育」を批判してたくせに、いざ、ゆとり教育が実施されると「学力低下」を訴える世間の身勝手さには呆れ返るしかないが、実際、昔も今も親バカのレベルに変化はない。学校に教育を依存してる時点で自分がダメ親であることを自覚したほうがいいと思う。 だいたい、「ゆとり教育」の目的は生徒をのんびりさせることが目的なんじゃなくて、空いた時間を使って勉強したいヤツは自分でどんどん勉強するように、という意図で導入されたものだ。ところがフタを開けてみたら殆どの生徒が土曜の休業日に勉強なんかしなかった。結局、教育なんて押しつけられ、強制されなきゃ大多数の人間がやらんということが分かったのである。リベラリストはすぐに自由にさせりゃ人は自分から知識を求めるようになると主張するけれども、そんなのは幻想にすぎない。子供の90%はただのバカで、いくら時間を与えたって、遊ぶことしか考えないものだ。そんなことにも気づかなかったバカ親が世の中に蔓延してるから、教育改革がいつまで経っても進まないのである。 文科省もせっかく批判されてるんだから堂々と「積めこみ教育を復活させる」と言い切っちゃえばいいのだ。でもって、勉強に付いてけない「落ちこぼれ」は切り捨てて、どんどん落第、退学させる。世の中は中学浪人、高校浪人やプータロウで溢れかえるだろうが、無視すりゃいい。「自分たちが主張してること」がどんな意味を持っているのか、ちっとは世間のバカ親どもに思い知らせてやればいいのである。いいじゃん子供が遊び呆けたって。 「積めこみ教育」をしようが「ゆとり教育」をしようが、自分のバカガキはバカガキのままで勉強なんかしないって事実を思い知らせてやればよろしい。
今日明日は仕事休み。またすぐに忙しくなるからちょっとしたひと休憩にしかならないのだが、その間に少しでもホームページを更新させようとするのだけれど、資料をちょいと見返したりするだけで時間が怒涛のごとく過ぎ去って行く。つか資料を本の山の中から探し出し、引っ張り出すだけで時間かかってる気がする。 本棚に納まりきれない本や荷物はダンボールにぶちこんでいるのだけれど、それを開けたり、その奥にある本を取ろうとしてどけたりしているうちに、いつのまにか部屋の奥地へと入りこんで今度は自分が出られなくなってしまうのである。自分ちで遭難してんじゃねーよって。 けど、押入れやクローゼットの中をあさっていると、こんなところにこんなモノが、とビックリするモノを見つけてしまう。例えばそれは学生時代に書いた昔の原稿だったりするのだが、まあ、読み返してこんなに恥ずかしいものはない。もっと恥ずかしいのは、文章技術のレベルが当時と今と見比べてみてもあまり向上してないことなのだな。この二十年、何やってたんだ、オレ。
今、若い人たちがこぞって個人ホームページを開いて、小説だの詩だのを披露している状況は実に楽しい。そういうのを十年後二十年後に本人が見たら、果たしてどんな気持ちになるものだろうかと今からワクワクしてしまうのである。 劇団の連中も自分でホームページを開いてるやつが結構いるのだが、これがまあ、何つ〜かどいつもこいつも若さ大爆発、オジサンの感覚で理解可能なものが一つとしてないのが素晴らしい。 らぶきっつぁんこと、桜雅充さんとこのサイトなど、テニプリ小説もさることながら、脳天に鉄槌食らわされたような衝撃を与えてくれたのが「ポエム」のコーナーであった。これはもう、ぜひともみなさんにご紹介せざるをえまいということで、勝手に引用させていただくが、一つめの「ポエム」がいきなりこうである(行間もそのまま)。
> わたしはただ・・・・
> あなたをあいしていただけ・・・・。
> 愛してほしいの。
注目すべきは、最初の「あい」がひらがなで、次の「愛」が漢字だってとこですね(^o^)。桜雅さんの限りない優しさが前者には込められているし、後者には相手への抑えきれない情熱がほとばしってます。プロの技法ですね。最後が句点で留められてるとこもポイント高いです。 次はこれ。
> 涙は、あなたの優しさの証
> 笑顔は強さの証
合い言葉は勇気! いやあ、小田和正か山下達郎が書いた詩かと思っちゃいました(^o^)。これを裏読みなんかしちゃいけません。相手への絶対的な信頼が二人の愛を築き上げるのですよ。
> 疑うよりも
> 信じることのほうが難しい
人生の真理です。頭脳明晰であるがゆえに相手のウソを見破ってしまう人は等しくこう感じているでしょうね。
> 恋することは
> 自らを成長させる
どんどん成長してください!
> あなたは
> 誰かを本気で好きになることができますか?
できなきゃ、人間じゃないですよね!
> 人は時として
> 悪魔にも天使にもなりうる
いや、あなたは天使だ! ……いやもう、読んでてクラクラしました。目くるめく体験って、こういうのを言うんでしょうかね(^.^;)。続きはもっとあるんですが、今日はこのくらいで。もっと読みたい方はウチの劇団のホームページからリンク貼ってますんで、よろしゅうに。 桜雅さん、次作を期待していますよ♪☆\(^0^\) ♪(/^−^)/☆♪
今日も飯はうどん……の予定だったが、2人前作って一杯のどんぶりに入れ、しげに渡したら、全部ペロリと平らげた。 「二人で一杯って言ったろ!? 何で全部食うんだよ!」 「あ、ごめん、気がつかんやった」 昼またうどんを作る。やっぱり2人前作って一杯のどんぶりに入れ、しげに渡したら、また全部ペロリと平らげられた。 「今朝も二人で一杯って言ったろ!? 何で全部食うんだよ!」 「あ、ごめん、気がつかんやった」 しげの記憶力がない原因の一つに、「食欲の前には全ての理性がすっ飛ぶ」ということがあるのかもしれない。
2003年03月30日(日) メモ日記�� 2001年03月30日(金) シラフでも酔える夜/『怪奇探偵小説傑作選2 横溝正史集/面影双紙』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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