無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年10月27日(日) そりゃテレビは全部宣伝でしょ/DVD『ほしのこえ』/DVD『100%の女の子』/DVD『刑事コロンボ 仮面の男』ほか

 サンデープロジェクトを見てたら、「北朝鮮のプロパガンダだ」とか、またなんだか鬱陶しい声がしてたので、つい目を向けてしまう。
 横田めぐみさんの娘さんであるキム・ヘギョンさんへのインタビューをフジテレビが行ったことに対して、議員の人たちが怒っているらしい。
 様子が分らないので、ネット検索などをしてみると、要するにヘギョンさんに涙ながらに「どうしてここに(祖父母が)来られないで、私が質問ばかり受けなくてはいけないのですか。おじいさんとおばあさんに会いたいんです。お母さんが日本人だからといって、日本には行けない」などと訴えさせたのが、北朝鮮の「仕込み」だと言うのである。
 政治屋さんと我々庶民の感覚の乖離は随分感じてきたことではあるが、北朝鮮が全体主義国家である以上、中学生とは言え、その思想信条が国家に準じていることは初めからわかりきってることである。こちらからインタビューしに行って、その内容がこちらの意図したものにならなかったからといって、プロパガンダだというのはチト頭が悪過ぎないか。
 常識で考えて、「お爺さんお婆さんに会いたい」「でも自分は日本に永住できない」というのは当たり前の反応である。私の母の故郷は台湾だが、だからって「おまえも台湾に永住しろ」と言われたら困る。絶対困る。来週の『プリンセスチュチュ』が見られなくなるではないか。
 インタビュアーはだいたい、まだほんの子供であるヘギョンさんから何が得られると思っていたのだろうか。仮に北朝鮮が何かをヘギョンさんに「仕込んで」いたとしても、それは大局に影響するものではない。それに気付かぬフジテレビと朝日新聞もアホだが、その政治とはなんの関係もないことを北朝鮮を非難する口実にすりかえて利用しようとする日本の政治屋さんたちのイヤラシさの方が、見ていて気持ちが悪くなってくる。
 いや、こう書くと北朝鮮を擁護してるみたいに取られそうなんで、付け加えておくが、ヘギョンさんは横田めぐみさんの娘ではあっても、日本人ではなく北朝鮮人なのだということを忘れてはいけない、ということなのだ。もし、彼女を日本に永住させたいということであるなら、それは彼女を日本人として「再洗脳」し、北朝鮮とは完全に断絶させ、北朝鮮をまさしく「悪の枢軸」として認識させるということになるのである。
 あの国がろくでもないことはわかるし、そうしちゃイカンと言うつもりはないが、でもそこまでしてヘギョンさんを日本に連れて来たいと考えている人たちの心情というものが私には解らないのだ。もしそれが、「日本人の血がヘギョンさんに流れているから」という理由であるなら、それは下らないなあ、としか思えないのである。ヘギョンさんには異母兄弟もいるんでしょ? 父親もいるでしょ? 家族の意志を無視しておねえちゃん一人を日本に引き取ろうって、それ、「拉致」って言わない?
 帰国した五人の、北朝鮮に残された子供たちの引き取り問題もあるよなあ。彼らには向こうでの生活、友達や恋人もいるかもしれないけれど、そういうのを一切無視して、つれて来ようって感じで動いてるよねえ。今度は日本がやり返すことになるわけだね。目には目を、「拉致」には「拉致」をで。ま、政治はキレイゴトですむことではないから、それがあの国に対する日本のカードとして利用されて行くことはもうどうしようもないことなのだろうけれど、「政治に正義はどこにもない」ということだけは認識しといた方がいいんじゃないかね。


 読んでない本やDVDが山積してるので、ともかく見まくることにする。
 まずは新海誠監督作品、DVD BOOK『ほしのこえ』。以前『アニメージュ』で巻頭特集まで組まれていた、「たった一人の手になるCGアニメーション」である。
 アニメージュ・ライブラリーの第1弾という触れこみだけど、第2弾の予定があるんだろうか。気になるのはオビに「石原慎太郎絶賛!!」とあること。これって宣伝としてはかえってマイナス効果になりゃしないか(^_^;)。「この知られざる才能は、世界に届く存在だ!」って、アンタがアニメの世界知らないだけでしょ。個人でアニメ作ってる例なんて、実験アニメの世界じゃ昔からザラにいるぞ。でもオタクじゃなきゃ、日本のアニメって、スタジオジブリとポケモンとサザエさんしか知らないってのが普通のレベルなんだろうしねえ。
 それはそれとして、問題は作品の出来映えだ。
 ……いいよ、これ(T∇T)。
 わずか24分の作品、けれどそこに凝縮された思いはまさに「永遠」だった。

 近未来。
 宇宙人(タルシアン)の侵略から、地球を守る選抜メンバーに選ばれた少女、ミカコ。恋人のノボルに別れを告げて、ミカコは宇宙からノボルの携帯にメールを送り続ける。
 戦場は太陽系を離れ、はるか銀河にまで広がる。ミカコのメールは、既にノボルのもとには届かない。そして、ウラシマ効果で二人の年齢も刻々と離れて行く。
 そして、最後の戦闘。
 16歳のミカコは、25歳のノボルに、最後のメールを送る。

 すれたSFオタクなら、このネタが既成作品のいくつかにインスパイアされていることはすぐに気がつくと思うけれど、それでもやはりそこには静かな、そしてムネが絞めつけられるような切なさがある。
 タイトルは「ほしのこえ」だが、実際に見ていて一番印象に残るのは、空と、雲の描写だ。二人が地上に一緒にいたときに見上げた空、ノボルが遥か彼方のミカコに思いを馳せて見上げた空、ミカコが見下ろした地球を覆う空と雲、青空、夕焼け、入道雲、鰯雲、飛行機雲……。
 それは風景であって風景ではない。二人の心を映し出す鏡だ。そして観客は、その鏡に映った自分の心も見ることになるのである。

 しげに『ほしのこえ』を見せながら、「これ、全部一人で作ったんだってさ」と言ったら、「ヒロインの声も!?」と驚かれた。んなワケあるかい(-_-;)。
 でも、ノボルの声は新海監督自身なんである。
 

 DVD『100%の女の子&パン屋襲撃』。
 昨日の『ビリィ★ザ★キッド』に続く山川直人監督の自主制作短編映画。原作は村上春樹である。
 たしかこの『100%の女の子』を私は、公開当時から間もなく深夜テレビの短編映画特集かなにかで見ている。そのときには主演が室井滋だったことに全く気付かなかった(『ビリィ』よりも以前の作品だから当たり前である)。
 冒頭の「ある晴れたカンガルー日和の朝、原宿の裏通りで僕は100%の女の子とすれ違う。たいして綺麗でもなく、素敵な服を着ているわけでもない。しかし50メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。『彼女は僕にとっての100%の女の子なのだ』と」というナレーションとともに、コマ落としで室井滋が向こうからやってくる。まさしく彼女は「綺麗でもない」。だからこそ、このナレーションにはリアリティがあった。
 恋は要するに思いこみである。
 その思いこみが男女間で双方向に向いていて、お互いがそれを自覚している状態を「幸せ」と呼ぶ。まさしくこの『100%』は、恋の本質を言い当てた物語であるのだが、同時に100%の恋がいかにして崩壊するかを描いた物語でもある。
 「100%の恋でも壊れちゃうの?」との声にはこう答えよう。
 「でも恋って『思いこみ』だから、100%と0%は、実はイコールなんだよ」と。
 だからこれは「悲しい話」なのである。
 『パン屋襲撃』は観念論が現実によって打倒される物語を観念的に描いた作品(^o^)。つまりメタギャグなんだけれど、このギャグ感覚ってなかなか理解してもらえないんだよね、私は好きなんだけど。
 

 DVD『刑事コロンボ ハッサン・サラーの反逆“A CASE OF IMMUNITY”
』。
 原題の「IMMUNITY」ってのは「免除」という意味だけれども、主人公のハッサンが、外交官特権で捜査の対象から外されることを指す。それをコロンボがいかに追いつめて行くがか今話のミソ。
 イスラム社会がアメリカナイズされることに反発する人物を犯人に仕立てたことで物議をかもした作品。よく発売できたな(^o^)。

 もう一本、『刑事コロンボ 仮面の男“IDENTITY CRISIS”』。
 原語タイトルは心理学用語で「自己認識の危機・自己喪失」の意味。コロンボシリーズ最多出演のパトリック“プリズナー”マッグーハンが二重スパイ・ブレナー役で登場しているが、彼がなぜ二重スパイになったのか、ということがあまりハッキリとは描かれない。そこにこのタイトルの意味を深読みしてみるのもちょっと楽しそうである。
 てっきり未見だと思ってたけど、しげと一緒に見ていた。記憶力に関しては私のほうがしげよりよっぽどアテになると思っていたが、そろそろ逆転現象が起きつつあるようである。しげの記憶力レベルは特に向上してなくて、私がボケだしただけかもしれんが。
 本話には他にも被害者役にレスリー“裸の銃を持つ男”ニールセンや、CIA本部長役でデビッド“『奥様は魔女』のラリー”ホワイトが出演。ホワイトの声優は表記がないけれど、耳で聞いた感じでは『奥様は魔女』と同じく早野寿郎氏が担当しているように思える。記録はキチンとして欲しいよなあ。
 マッグーハンの声は『祝砲の挽歌』に引き続いて佐野浅夫が担当。水戸黄門なんかやってるときは優しいお爺ちゃん、という印象だけれど、声優をやらせるとコワモテだったり渋く固い印象を与える演技が多く、これはなかなかマッグーハンに合っている。
 実はこの話には翻訳に関する問題点が一つある。
 それは、マッグーハンが自らの罪を認めたあと、ラストのコロンボとの会話なのだ。これが放送当時から「意味不明」ということで、コロンボファンにとっての「謎」となっているのである。
 まずは額田やえ子女史によるテレビ版での翻訳。

コロンボ 「笑い話があるんですが」
ブレナー 「ぜひ聞きたいね」
コロンボ 「ある日、ポーカーとね、マージャンが賭をした」
ブレナー 「どうなった?」
コロンボ 「前半はポーカーが有利」
ブレナー 「ところが後半…逆転」
コロンボ 「……その通り」

 つまり、「これのどこが『笑い話』なの?」ということなんである。
 そこで、オリジナル英語版に当たってみると、これが全然違うのだね。

Columbo "Would you like to hear something funny?"
Brenner "I'd love to."
Columbo "Today, the Chinese, they changed their minds."
Brenner "Did they, again?"
Columbo "They're back in the games."
Brenner "in the games....mah-jong."
Columbo "mah-jong."

 昔のノベライズ版(二見書房サラ・ブックス)での訳(三谷茉沙夫訳)を参照すると、比較的原語に忠実ではあるけれども、これもまた微妙に違っている。

コロンボ 「ブレナーさん、笑い話があるんですよ」
 コロンボはブレナーの背中に話しかけた。
ブレナー 「ほう? ぜひ聞きたいね」
コロンボ 「きょう、中国人が気を変えたそうで、ゲームに参加するそうです。」
ブレナー 「ゲームに? マージャンのだろ?」
コロンボ 「わかっちゃいましたか」

 最新版の二見文庫では、ついにこのやりとり自体がカットされてしまった。どうも何が言いたいのか、訳者がお手上げになっちゃったらしい。それでもプロかよ(-_-;)。 
 『刑事コロンボ』のファンサイトである『安葉巻の煙』では、「ブレナーの部屋で麻雀牌を見たことがアリバイ崩しのヒントになり、それを皮肉った」とか「mind-change と mah-jongg の シャレなのではないか」など、いろいろな説が披露されているが、実はこれ、この部分だけ切り取っちゃうからワケが解らなくなるんである。

 ブレナーは自分のアリバイ造りのために、朝方書いた原稿を、殺人のあった昨夜に書いたと主張した。ところが、昨日書いたはずの原稿に、今朝初めてニュースになったばかりの、「中国のオリンピック不参加」のことが書かれていたのである。
 つまり「ゲーム」というのは「オリンピック」のことを指しているのである。「中国人が気を変えた」というのは、「今日になってまた中国がオリンピックに参加する気になった」とコロンボは言ったのであるが、これは当然ウソ。ブレナーは、「君は『ゲーム』としか言わなかったが、それが『オリンピック』のことだと思わせたいのだろう。けれど、そのゲームってのは『麻雀』のことじゃないのかね?」と、コロンボの「引っ掛け」を見抜いて言ったのだ。
 ところが、見抜いたつもりのブレナーはハッと気付く。これはつまり「中国人は気を変えたりしない」という意味でもあるのだと。「二重スパイ」として、祖国を裏切り、共産圏に情報を売っていたブレナーに対して、これはキツーイ皮肉になる。会話の流れから考えれば、そういうことだとすぐに気付きそうなものだ。
 どうして「ポーカーとマージャンの賭け」なんてヘンな訳になっちゃったのか、理由は定かではないが、多分、“something funny”を「笑い話」と解釈しちゃったから、何かこれが粋なアメリカンジョークかなんかだと勘違いしたんじゃなかろうか。
 これを「ヘンなことがあったんですが、聞きたいですか?」と訳しときゃ、別に誰もまよいはしなかったと思うんだがねえ。額田さんの翻訳は名訳として知られているけれども、これは結構トンデモな訳だったと思う。

2001年10月27日(土) どこまで行くのかな、クラリス……天神まで行きました(-_-;)/DVD『STACY』ほか
2000年10月27日(金) 頼むから一日12時間も寝るのは止めて/映画『少年』ほか



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